第五章 ノスタルジア


目覚めは、
「あああーーーー!!気が付きましたかっっ!オスカー!!」
というルヴァの素っ頓狂な声と共にやってきた。

焦点が合わない視界を、目を瞬いて凝らすと、暗い部屋の天井が見えた。クラヴィス様の部屋まで、帰ってきたのか?

身体を起そうとしたら、鉛のように四肢が重たい。
「リュミ、エール、は?」
やっとで舌を回すと、
「私ならここです。」
と、ひょいとリュミエールが視界に顔を見せる。顔色も普通、あまりにも普通。あんた一体どうしたの?って顔付きだ。

なんでお前、そんな元気そうなんだよ・・・
「おい。なんで俺がこんなに体力消耗してて、お前がそんなに平気そうな顔してんだ。」
思わず不平を言うと、
「さぁ、私に聞かれても・・・」
とその長い髪を耳にかけた。どこまでもムカつく野郎だ・・・

というか、あの後一体何がどうなったのか、全くわからない。
あ、と思いついて、
「お前、本当にリュミエールの方か?」
と、たずねると、ふっと悪戯っぽい笑みが返ってきた。
「どちらに見えます?」
その笑みはルゥのような、言葉遣いはリュミエールのような。
て・・・
「ふざけてる場合か!!」

「まあまあ、オスカー。こうしてリュミエールもあなたも無事に帰ってきたんです。良かったじゃありませんか。私なんか、小心者ですから、一時は両方とももう無理かと・・・」
そら恐ろしいことをルヴァが目を潤ませて言う。

だが、問題は、俺達が身体的に無事に帰ってくることだけじゃなかったはずだ。

「覚えているのか?」
リシュリュー卿とのこと、とは言わずに、少しだけマジになって聞く。結局、リュミエールがそれを覚えていなければ、根本的な解決にはならないと思ったからだ。
「オスカー、貴方こそ、覚えていますか?」
質問で返される。
なんのことだ・・・と眉を顰めると、
「『来い。俺が燃やしてやるっっ』とかなんとか臭い台詞で暴れまわったことですよ。」
なんじゃそら。
「やっぱり覚えてない。人の精神世界を燃やし尽くしておいて・・・」
と、サメザメと涙を流すふりをした。困惑する俺に、俯いていたその顔を、ふぃと、持ち上げ、
「あ。それでは、バングルが外れたことも覚えていないのでは?」
と聞く。
え?
節々の痛みを堪えながら片腕をあげると、内出血で黒く手首は腫上っていたが、バングルは消えていた。
「いつの間に!?」
思わず声を上げる。
「自力ではずして、いや燃やしてましたよ、全部。あぁ。ちなみに、悪趣味な養父のことでしたらしっかりと思い出しました。」
と、軽い調子でリュミエールは付け足した。
「そ、、、か。」
よくわからんが、それだけ確認すれば、ひとまずは、いいか。

「まあまあ、とにかくリュミエールが落ち着いていれば、そして二人が無事ならば、今は一件落着で良いではありませんか。」
両手の指先を軽く合わせるようにして、
「リュミエールも、気が向いたら、事情などを教えてください。気が向いた時で構いませんから。」
ルヴァが俺の考えと似たような内容でまとめた。

俺の視界からは見えないが、
「ところで、そのままその男、ここに置いて行くのか?」
と、クラヴィス様の声が少し離れたところからする。
人を荷物みたいに・・・

「そうですねぇ。オスカーのことです、もう暫く休んだら自分で帰るくらいの体力は回復するでしょう。それまで置いてあげてください。」
俺をなんだと思ってるんだ。
疲れきった身体と、頭で、俺は反論するのも面倒臭くなった。

しかし、ルゥが言ってた汚物処理ってやつ、俺何か手伝ったのだろうか・・・考え始めると謎ばかりが残るが、落ち着いてからルヴァが知っていたら、ルヴァに聞こう、と思った。

「では私はこれで。」
ありがとうの一言もなく、嵐の中心だったはずの、水の守護聖が真っ先に席を立とうとする。いや、分かってたけどな。
「では私も・・・」
ルヴァが続き、クラヴィス様が無言で退室して、なけなしの照明が落ちた。

真っ暗闇の中、
なんだかわからんが、とにかく、終わった、な。
と思った。ずっとどこかで緊張していた糸が、役目を終えて、ぷっつりと切れた気がした。
身体が泥に沈むように、その回復に集中し始めていた。

ルゥに昨夜、散々いたぶられた傷も、今日、精神世界でルゥや過去のリュミエールにされたことも。ある意味、事故だと思えた。リュミエールもルゥも、ある意味では被害者だからだ。
思い出すと、顔から火が出て、奴を、事情とは関係なくぶっ殺したくなるから、もう思い出すのはやめよう。
そう決めて、ただの事故だ。
と、念を押すようにもう一度、内心でつぶやく。

なんとはなしに、誰にも、何もいわず、ただ目の前の苦痛や屈辱が、通り過ぎるのを、黙って耐えようとしていた、聖地に来る前の、少年の日のリュミエールを思い出した。

俺なら、どうするだろう。
俺なら、諦めないで、足掻く。
それしか分からなかった。
足掻いているうちに、何か活路が見いだせるかもしれない。いや、そもそも、諦めるなんてことを思いつかないだろう。自分なら。
目の前の理不尽さを、なぜ飲み込まなければならないのか。

リュミエールは飲み込もうとして、けれど、その悪に染まることも出来ず、今に至るまで飲み下せずにいた。今、この時も、その苦しみは続いているのかもしれない。
そこまで考えて、俺が足掻くことしか思いつかないのと同様に、リュミエールも飲み下す以外に方法を思いつかなかったであろうことに思い及んで、
「馬鹿が。」
と思わず口に出していた。

家族を奪われて、あの調子では友人もいない。唯一の家族となった母にも相談出来ずに。そんな孤独の中、巨大な悪意を飲み込んで、瞳に空虚さを宿らせて。
寂しいなら、寂しいと言えばいい。
つらいなら、つらいと言えばいい。
それが、たとえ誰の耳に届かなかったとしても。

いつも何かにつけ、つっかかってくる相反するサクリアの持ち主に、言いたかった言葉は、本当は、
「素直になれよ」
という、単純なものだったのかな、などとぼんやりと感じたところで、妙に冴えていた脳が身体に合わせて、やっと休息に入っていった。


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