終章:終止符の向こう


カーマインは地を駆ける
火の粉で編み上がった髪は風に舞う
そして瑠璃の瞳が行く手を射抜く

バーミリオンは敵を焼き・・・
その姿は淀みなく

けれど二人は出会ってしまう
喉を潤す泉のほとりで

けれど二人は出会ってしまう
身体を清める泉のほとりで

けれど二人は・・・・・・

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カーマインは驚いたように足を止めた。
泉の中で何かが跳ねる音を聞いたからだ。

馬をおちつかせ、側の木に繋ぐと、用心しながら、彼は泉の中を覗くように近づいた。
パシャン!!
一度。大きな魚が身を翻すような派手な音がして、泉の中央から、一人の乙女が頭を出した。
その髪の色は、流れる水のような薄い銀青色。瞳はブルーがかった薄い色で、見る者に、精巧に造られた硝子玉を彷彿とさせ、肌は透き通るように白かった。
カーマインの宿敵の王女、セリーヌソワ。

カーマインは、動かず、ただそこでじっと立ちつくしていた。
セリーヌソワはおそるおそる、声をかけた。
「あ、あのぅ。服を取りたいのですが・・・」
カーマインは、その時初めて、少女が何も服を身につけてないのだと思い至ったのか、あわてて視線を逸らした。
「す、すまない。向こうを向いているよ!!」
セリーヌソワは、泉を上がり、服を着ると、カーマインに近寄って、悲しげな声で言った。
「とても、素敵な瞳の色ですね。髪も・・・とても美しい色・・・そんな色、見たことがないわ。」
「俺は・・・火の一族の、カーマイン。君の瞳の色も、髪の色もとても素敵だ・・・でも君は・・・水流の・・・?」
どこか、ぎこちない声で、カーマインは返したが、その語尾はうまくまとまらなかった。
「私は、セリーヌソワ。水流の民の王女・・・。」
彼らが一目で、互いに恋に落ちたのは、必然で、偶然ではない。
二人はそう確信したのかもしれない。
それ以上、何を語ることもなく、二人は抱き合う。
そして。
互いの瞳を、二人は悲しみの色を滲ませて。
だが、熱く、ただ見つめるのだった。

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「唐突だなー。カーマイン。まあ恋の始まりってそんなもんか。」
「水浴びしているところに遭遇すると、人は恋に落ちるのかもしれないですね?」
「だっ、誰と誰の話だっっ!?!?それはっっ!?!?」
「そんなに狼狽えないでください。冗談ですよ。物語ですからね。それに、泉で出会うと恋に落ちるのは、物語の世界じゃセオリーですよ。」
「なんか・・・お前にかかると浪漫もへったくれもあったもんじゃないな。」
「失敬な。浪漫ならあります。」
「ほぉ?どんなだ?・・・っておい、何してる・・・」
「何ってナニですが・・・続きは来週歌って差し上げますよ。誰かが茶々ばかり入れるから、このままでは一日が終わってしまう。」
「終わって・・・ってさっきしただろうが!」
「え?浪漫の話ですか?」
「なんの話をしてんだ、お前はぁ!人を色魔扱いしておきながら自分はっ・・・はっん・・・ちょっとま・・・てぇって・・・くっ!」
「んんっ。抵抗するなら縛りますよ?それも・・・浪漫?」
「・・・いい加減にしろっ!!」

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「ルヴァ様ー!!」
「おやランディ、どうしました。そんなに走って。」
「いや、あちらでルヴァ様の姿をお見かけしたので、走れば追いつけると思ってっ。」
息を切らせながらランディが言う。あちらとはどちらのことだろうか。まさかあの丘の上辺りから走ってきた・・・なんてことが・・・とは思いつつ、ランディの若さならあり得なくはないかもしれませんね、と納得する。
「あの、オスカー様に今日の朝、少しだけ稽古をつけてもらいました。お元気には、なられたみたいですよ。稽古もいつも通り、すごく厳しかったです。」
私が気にしていたのを、覚えてくれていたのだろうか。
「それはわざわざ、有り難う。ランディ。お陰でほっとしました。」
どうやら水の守護聖に任せてみましょうキャンペーンは功を奏したらしい。
「でも、悲しいことって大変ですよね。今回のことで・・・考えてしまいました。その、忘れちゃいけないけど、忘れないと前に進めないというか。でも忘れちゃいけないですし・・・ごめんなさい。俺、なんか変なこと言ってますね。」
隣を歩きながら、ランディは顔をしかめている。
「それは、間違っていませんよ。ランディ。」
私は微笑む。この少年の直感は、とても正しい。
「ひとつ、変わった話をしましょう。ある惑星に、とても大きな美しい稜線を描く山があって、人々は、様々な角度から、画を描いたり写真を撮ったりして、その山をそれはそれは、たっっっっっくさん、愛でたのです。」
「え?は、はい・・・。」
怪訝そうな顔をしつつも、ランディは真剣な表情でそれを聞く。
「ある日、その山に、隕石が衝突して、その山の稜線が崩れてしまいます。それはもう、隕石の形にぼこっと穴が空いてしまい、奇跡的な美しい稜線は台無しになってしまったのですよ。」
「えぇ!?い、隕石ですか・・・・。」
「ええ。その衝突に伴って、人も沢山亡くなりました。さあ、こんなとき・・・ランディなら、どうしますか?」
私は立ち止まってランディの行く先を塞ぎ、その利発そうな瞳を覗き込んだ。
「そうですね・・・俺なら、まず衝突で負傷した人々を助けて、それから落ち込んでいる人たちを励まします。それと・・・壊れた建物を直すとか・・・うーん・・・他には思いつきません。」
黙って聞いている私の「そうですね」の一言を待ってか、素直な意見を一通り述べて、ランディはこちらをまっすぐと見た。
分からないことは分からない。恥ずべき無知と、そうでない無知がある。彼はそれを本能的に知っているのかもしれない。
「実は・・・人々は、負傷した人々の救済も、町の復興も勿論しましたが、山を、気の遠くなるような長い年月をかけて元の姿に戻したのです。」
ランディは、ぽかん、と口を開けた。
「え?でも、山ってその惑星の中で大きいものなんですよね?その大きな山を元に戻すにはお金とか時間が沢山掛かりますよね・・・そこまでして、どうしてもなおさなきゃいけない山だったんですか?」
ランディの顔は、しゃべりながら、解せない、といった表情が濃くなっていく。
「全然。ただ、美しい山でした。それだけです。でもね、彼らはどうしてもその山をなおしたんです。何世代もかけてね。何故だと思います?」
ランディは首を振った。
「わかりません。美術的な意味ですか?」
「・・・忘れたかったんですよ。私は、そう思ってます。」
そう、民は忘れたかった。
「その、隕石の惨事をですか?」
「そう。その惨事を。・・・そして、覚えておきたかった。」
「???・・・ルヴァ様、難しくて俺には分かりません。忘れたかったのに、覚えておきたかった、だから山を元に戻した?って何か矛盾してますし・・・」
混乱した表情で、ランディは言った。
「そうですね。一見、矛盾してます。でもねぇ、ランディ。人はね、覚えておくためには、事実を捨象して、記憶にしなければならないんですよ。」
これはなかなか、奇妙な理屈だが、少し面白い。
「覚えておくために、記憶できるような形に、事実を加工する必要があるってことですか?」
その通り。
「なかなか筋がよろしい!なぁんて。あくまで私の考えですがね。でも、そうだと思いませんか。何百万人が亡くなった、という事実があったとして、それを事実のまま、心に留め置くことはできません。私たちの心はそんなに強くは出来ていない。だから、忘れる。だけど、忘れてはいけないことがある。だからそこを切り取って、心に止めておけるように、加工するんです。センスが悪いと、自分に都合の良いことばかり切り取って、肝心なことを忘れてしまいます。ですから、私たちは常に記憶を加工するセンスを試されている、とも言えますね。」
「はぁ・・・俺、記憶は、事実を加工したものだなんて、思ったことなかったです。」
「あくまで、一つの考え方ですよ。あまり凝り固まってはいけない。そもそも事実を知覚する時点でもはやそれは主観を伴ってるでしょうし、忘れようと思っても、ずっと忘れられないことというのもあるのですから。」
ランディは、真剣な瞳で、今のやりとりから何かを掴もうと、必死に挑戦しているようだった。
何を学ぶかは彼次第。そんな彼から、私もまた、何かを学ぶ。

「ああーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

と、突然、ランディが素っ頓狂な大声を上げる。
「どどどどど、どうしました?」
私はあまりに唐突な大声に肝を潰す。
「すみませんっ。あの、考え事をしてたら突然思い出してしまって・・・。」
顔を真っ赤にして、ランディは深く頭をさげる。
「な、何をです?」
「そのぅ、オスカー様と、リュミエール様が、キス・・・してませんでした?あの時・・・みんなの前で。何回か・・・。」
困ったように目を泳がせて、ランディは言葉をしどろもどろに継いだ。
ああーーーー、あれねぇ、と私はぽん、と手を打った。
「あれはですねぇ、オスカーにセリーン、つまりゼーンの娘が。リュミエールにサビーナ、つまりサータジリスの娘が憑いていたんですよ。」
だから気にしないで下さい、と締めようとしたところで、
「でっでも、二人は女の子ですよね?あの、しかもセリーンは資料を見たら、カーマインが好きだったのでは・・・。」
んー。そこですか。
「まあ早い話が二人は同性愛ですね。そして、セリーンはカーマイン一筋のつもりが、サビーナに心変わりしたんでしょうねぇ。あの様子だと。」
青筋をたてて、ランディは固まっている。
「ど、ドウセイアイ、ですか・・・ココロガワリ・・・女心は難しいですね、俺にはとてもついていけないや。」
最後は、諦めたようにため息をついて、足元に視線を落とした。
「ついて、いけない・・・ですか。私はそもそも、ついていこうと思いませんけれどねぇ。」
私もため息をついて。
だが、天を仰いで笑った。
「俺には、まだまだ分からないことがいっぱいありますね。あの泉に竜が住んでいたなんて、今でも信じられないですし。」
はぁ、と今度は明るいため息をついて、ランディが言う。
「あれは・・・まあとにかく。さあ!私達も女王候補達に負けないように、仕事に取り掛かりましょう。貴方もこれから宮殿でしょう?」
気持ちを切り替えて、ランディの肩を叩く。ランディは、はいっ、と気持ちのよい返事をして、俺、走って先に行きますね!と爽やかに去っていった。
若いっていいですねぇ、と私は苦笑して、その後ろを歩く。
頬を、心地よい乾いた風がさらりと撫でる。

その風に誘われるように目を閉じれば。
リュミエールのハープに乗せて、聴かせてもらったメロディが耳に蘇る。
瞼の裏の黒に映える、鮮烈な。イメージと共に。

炎の剣と氷の剣を携えて、対照的に舞うオスカーとリュミエール。

竜と虎
金と銀
静と動
黒と白
柔と剛
赤と青

曲の強弱と剣の躍動に合わせて、火の粉や水飛沫が弾け散る。

簡素で、絢爛な。




ボレロ。




終。
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