1章:予兆


難儀なことだ、と何度思ったか。『面倒な事は早く終わらせるに限ります』と背中を押されて出てきた(というよりは追い出された)ものの、どうにも足は重かった。
会議室にやっとの思いでたどり着き、扉を開ける。
「再三の通達の甲斐もあったというものだな、やっとお出ましか、クラヴィス。」
珍しい嫌みを浴びせられて、その黄金の獅子のように尊大な男が、私の遅刻に腹を立てていることを知る。当然のように上座に座ったその男の隣に、地の守護聖が座っている。当然ながら、私が最後らしい。
刺すような視線を身体で受け止めつつ、やはり柱にかじりついてでも執務室から出るべきではなかったかも知れぬ。そう思いながら、手近に用意された最も下座にある椅子の一つに腰を降ろした。
大きな円形のテーブルは、3人で行う会議には不釣り合いに大きく。私とジュリアスの間の距離は、そのまま心の距離のようにも思えた。

「クラヴィス、資料を見ていただけましたか?どう思います?」
ルヴァは努めて和やかに、張り詰めた空気の中、切り出した。
「資料など、見ておらぬ。」
短く答えると、
「貴様ッッ!やる気がないのか!ならば今すぐここから出て行けっ!」
間髪入れずに怒号が飛んだ。出て行っていいのなら、今すぐ出て行くが。どうせ出て行けば出て行ったで、またお前は呼び出すのだろう?口の端だけで笑って、私は続きを述べた。
「資料など見ずとも、分かることはある。お前達が気にしているのは『流水と荒野の惑星』のことであろう。それも、サクリアは行き届いているにも関わらず、何故か文明も進歩せず、人口もいっこうに増える気配がない。挙げ句、ヒトが生まれなくなりつつある。まさに死にかかった惑星だ。その原因を、知りたいのだろう?」
静かに、ゆっくりと、だが誰にも口を挟ませずに一気に言う。途中、ぐっと言葉に詰まったジュリアスは、なかなかに珍しく興味深い顔ではあったが、私はそんな顔を見物するために、ここに来た訳ではない。
「では、そのよく見える『眼』で、その原因も知っているというのか?」
大人になったのか、私との空しいやり取りに考えるところがあったのか、特にそこには突っ掛かってこず、忌ま忌ましげに息を深く吐き、ジュリアスは聞いた。周囲の光を集めて放つ、二つの群青が。ゆっくりと瞼に隠れ、些かほっとした自分に気づく。
「さてな。強いて言えば、『呪い』か?」
テーブルに片腕を乗せ、明後日の方向に身体を向けて、私は告げた。
「呪い、ですか・・・。」
ルヴァが感慨深げに瞳をテーブルに落とした。その瞳が焦点を失い、彼が何か考え事を始めたのだと知れる。
「それで?古参だけ集めて、原因を解明して、一体どうするというのだ?これは内緒話の会か何かか?」
考え事に集中し始めた者は放っておくことにして、私はひとつ、気になっていたことを聞いた。最後の一言は冗談のつもりだったのだが、ここに冗談の通じる相手はいない。当然、誰も笑わなかった。
「一惑星の事だ。あまり大きくはしたくない。特に今は、新たな女王試験が始まったばかりだ。」
「陛下には一応、話を通したのですが、まあとにかく今は忙しいので。時間が惜しいんですよ。」
重苦しいジュリアスの言葉を、ルヴァが淡泊に繋ぐ。
考え事が終わったらしく、ルヴァは、ジュリアスの瞳をちらりとみてから、こちらをしっかりと見据えて、続けた。
「クラヴィス。貴方にも分からないのでしょう。詳しい原因は。そこでどうでしょうか。やはり、現地の視察は必要だと思うのですよ。このままでは日を待たずして、あの惑星(ほし)は死滅です、しかし、幸か不幸か、発見出来たのは今。試験のただ中ですから、星の環境変化も速度は止まってしまっているようなものです。この間に原因を取り去ることができれば、十分にあの惑星を救うことができる。ただ、時期も時期ですから、視察と言っても、出来れば一人。多くても三人を限度として、派遣すべきでしょうね。」
地の守護聖は、順序よく、丁寧に提案すると、もう一度、ジュリアスに視線を戻した。
「私は、オスカーと、」
一度息継ぎをして、こちらにまた投げられた視線は、にこり、と柔らかな笑みが伴っていた。
「リュミエールが適任と思いますが。」
大方、予想していた通りの提案だったが、それを耳にした瞬間。チリリ、と何かいやな感じがこめかみの辺りを通り過ぎる。不快感が、じわっと私の中に芽生えた。
それとは全く無関係に、だがやはり不快そうに呻いた男がいる。
「それは・・・なかなか難しい提案だな。ルヴァ。サクリアのバランスから行けば、まあ順当にその二人となるだろうが。」
確かに、その惑星に満ちたサクリアは、炎と水が多くを占めてはいる。だから、ルヴァの提案は今ある情報から、順当に導かれたものには違いあるまい。だが、私の第六感はそうすべきでないと告げていて、ジュリアスはと言えば、
「あの二人だけで、大丈夫だろうか。」
と、ただ二人を純粋に心配していた。
「ジュリアスは、二人があまり仲が良くないことを心配しているんですか?」
ルヴァの問いかけは、少しだけ悪戯っぽい色をにじませている。その質問に、珍しく答えにくそうに、ジュリアスは言い淀んだ。
「あ、ああ。まあ子供ではないのだから、仕事は済ませるであろうが。オスカーはどうも、ことリュミエールのこととなると、妙に冷静さを欠いているように見えてな。私の考え過ぎかも知れぬが・・・。」
その言いように、思わず、堪えようと思ったはずの失笑が口の端から漏れてしまった。
「何がおかしい?」
それまでの空気を一変させて、ジュリアスは眉間に深く皺を寄せ、瞳に力を込める。
「いや、すまぬ。意外と見ているものだな、と少し関心したのだ。」
軽く手をあげて、私は笑い顔を戻そうと、眉を寄せた。
「なんだと?」
褒めたつもりが余計逆上させたらしい。相変わらず難しい奴だ。
「まあまあ、そんなことより。どうしましょう?」
「ルヴァ、お前が同伴する訳に行かないのか・・・。」
「アハハ。えぇっと、なんというか、遠慮したいところですねぇ、それは。二人が殴り合いの喧嘩でも始めたら私はどうやっても仲裁できませんし。」
ジュリアスの提案にルヴァは態とらしく笑い、青くなりながら遠慮がちに、だがきっぱりとそれを断り、身を守る。それに、と真剣な顔付きで言葉を継いだ。
「ジュリアスが思うほど、あの二人は相性が悪くないと思いますよ。」
あの一件のことを言っているのだろうと思ったが、ジュリアスはあの件を知らない。
「うむ。仲がいい、悪いなどという瑣末な事柄で、すべきことを歪めるべきではないしな。」
しかし全く別の理由で男は自分を納得させていた。

結局、嫌な予感がしようが、それに不快感を感じようが、起こるべき時に事は起こり、起こらざるべき時には、何も起こらないのだ。
そこに居る者が、何を想おうと、何を願おうと、何を望もうと。そんなことを意にも介さず。

もう、慣れた、と思ったはずの痛みが胸を刺し、鬱陶しいことだ、と額に指先を当てて、それをやり過ごす。

「彼らが何か手掛かりを見つけられるといいのですが。」
と、ルヴァがテーブルの上に広げた資料に視線を落として言った。
「見つけてくるだろう。それが吉報か、凶報かはともかくな。」
見えていることだけ、短く告げてやると、
「オスカーなら、必ず解決する方法を見つけるはずだ。」
見当外れな予報がそれに続いた。
それを言うなら、方法を見つけるのではなく、無理やり強行突破して解法を作り出す、の間違いだろう、と一笑に伏そうとして、強ち、それも悪くないことを知った例の一件を思った。
何とはなしに、ルヴァの姿を探した私の視線を、ルヴァの細められた瞳が受け止める。考えていることを見透かされた気がして、思わず視線を逸らしてから、『何』を『誰』に期待しているのだ、と瞼を閉じて、自分を戒めた。

なるようにしか、ならぬ。いついかなる時も。
これまでがそうだったように。
思い通りになることを期待して疲れるのには、とうに飽いた。

「聞いているのか?クラヴィス。」
ふと、ジュリアスの声で我に帰った。どうやらまだ話し合いが続いていたらしい。その質問には答えずに、
「・・・気分が良くない。もういいだろう。大方結論は、出たのではないか?」
投げやりにいって、返事を待たずに席を立った。
「クラヴィスッ!」
苛立った声で引き留められるのを無視してそのまま歩みを進めていると、扉に手をかけた辺りで、そのジュリアスをルヴァのまあまあ、という声が宥めている。
ルヴァも苦労するな、と他人事のように思い苦笑したところで、会議室のドアが背後で閉まった。

執務室に戻る途中、窓から見やった空は、暗雲垂れ込める鈍色。
その色は。
何故、こんなにも。運命(さだめ)という奴は挑戦的な顔をしているのだ?と、思わずにいられぬ、色をしていた。

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