序章:物語の終わり


我らには、水がない
我らには、土がない
我らにあるのは、砂ばかり

神よ、我らにせめて勝利を
神よ、我らにせめて・・・

ヒトの王は 祈りを捧げ
するとその眼前に 火が天高く立ちのぼった

一度炎が ぱちん、と 跳ねた
跳ねた火の粉から 最初に出でたのは
火竜サータジリスの 赤い髪 黒い瞳の長兄だった
長兄は言う
私は神から使わされた子 センドールと申す
私の持つ千里眼は 未来を見通す力となり
必ずや あなた方に 勝利をもたらそう

次に炎が ぱちん、と 跳ねると
跳ねた火の粉から 次に出でたのは
火竜サータジリスの 赤い髪 青い瞳の次兄だった
次兄は言う
私は神から使わされた子 カーマインと申す
私の持つ炎の剣は どの軍をも蹴散らす力となり
必ずや あなた方に 勝利をもたらそう

最後に炎が ぱちん、と 跳ねると
跳ねた火の粉から 最後に出でたのは
火竜サータジリスの 赤い髪 金の瞳の末妹だった
末妹が言う
私は神から使わされた子 サビーナと申す
私の持つ軍馬は 疾風のごとく戦場を駆けめぐり
必ずや あなた方に 勝利をもたらそう

ヒトの王よ 我らが三兄妹
いつまでも 共に 戦おう

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「セリーーーンッ!!どこだっ!どこに居る!!」
カーマインはおそらく、自身のありったけの力を込めて、その名を呼んだ。その切れ長の青い瞳にはうっすらと陰りが見え、彼が何かとてつもなく大きな不安に直面していることを示していた。
周囲は、業火に包まれ、おそらくそうなる前は、城の壁や天井や、床であったであろう瓦礫の山を、カーマインは顔も髪も、服も煤だらけにして、その名を呼んだ。彼が炎の一族でなかったら、とっくにその息は煙に巻かれてとまっていたに違いない。
「返事を・・・返事をしてくれ、嫌だ。嫌だッッ!!」
絶望の光を宿した瞳は、力無く一度閉じられ、だが心に浮かんだ何かを受け入れることを拒否したように、もう一度かっと見開かれた。
「セリーーーーンッッ!!」
彼の咆哮が、その城跡に響く。

彼の願いも空しく、その声に答えたのは、炎の爆ぜる音だけ。炎と彼のほかには、なんの存在も見いだせない。

彼は、煤けた身体や服に似合わないような、この状況でその輝きを失わないでいる自分の剣を、その地面に、乱暴に突き立てた。
その顔には何故か、長年愛用してきた剣に向けるには、およそ相応しくないような。激しい憎しみ、あるいは嫌悪のようなものがこもっていた。
「我が炎の剣、バーミリオンよ・・・お前と私の契約を今、別つ。その力を持って、水の一族の王女、セリーヌソワの魂を、救え!!」
カーマインは言った。

剣からボゥ、と炎が立ち上り、そこから雄々しい声が答えた。
「主よ、我を捨てるというか。」
間髪いれずにカーマインが低く答えた。
「ああ、捨てよう。」
「では契約に従い、主よ、汝の命を貰い受けよう。」
「ああ、なんなりと持って行くがいいっ!ただしセリーヌソワの命と引き換えだっ!約束を違えてみろ、俺はお前など取るに足らぬ呪詛の火となってお前を呪い殺すだろうっっ!!」
その顔には絶望を通り越して、いっそ喜悦が。その声には憎しみを通り越して熱い執着が宿っていた。
「その願い、聞き届けようっ!」

バチバチと激しい音を立てて、炎は強い光の柱となって、辺りを呑み込んでいく。

『セリーン、必ず君を助ける。』
憎しみに呑まれたかに見えた、カーマインの顔は。最後の一瞬、その深い青色の瞳に、清涼な輝きを取り戻して、その光の柱の中に消えた。

『セリーン・・・』

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「それで、セリーヌソワはどうなる?」
「死んでなかったんです。瓦礫の下で気を失ってたところを、バーミリオンが助けるんです。」
「でも、もうカーマインは死んでるんだろ?」
「ええ。神様なので、死んだというより、魂が消滅したという感じですが。」
「・・・何を笑ってる?」
「いや、いつもこの歌を歌うと、カーマインは誰かに似ているなと、思うのもので。」

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「何を泣くの。貴方の命のために、彼は何もかもを捨てたというのに。」
サビーナは、目の前にいるその女性とは正反対の、怒りの形相に、その美しい顔を歪ませていた。その姿は、限りなく冷酷で、どこか、雄々しくすら見えた。もともと彼女は、感情の起伏が激しいことの他は、特に女性らしいところがない。それは彼女が炎の一族だからではなく、おそらく軍神の使い、剣士の一人としての役目も担っているからだろう。
今も、瓦礫の段差に片足を乗せ、その上に腕をつき、その金色の双眸から、男勝りな鋭い眼光を、地面に座り込んでいるセリーヌソワに注いでいた。
「貴方には、わからないわ。彼と共に在れないのなら、命があって、なんの役に立つというの。」
音もなく涙を流しながら、セリーヌソワが言った。サビーナと正反対の、流れる水のような色をした髪が、彼女が大きく一度、頭を振ったのに合わせて揺れる。
「カーマインは貴方のような、なんの役にも立たない女の、どこを気に入ったのか・・・分からない・・・でも、貴方にカーマインの後追いでもされたら、私が困る。」
弾かれたように、セリーヌソワはサビーナを見上げた。その様子を見て、サビーナは軽くため息をついて続けた。
「図星のようね。でもね。カーマインは、貴方が死ぬと、未来永劫、呪詛の炎となって縛られてしまう・・・だから、生きて。」
唯一の道を断たれたと感じたのか、薄い氷のような色をした、セリーヌソワの瞳は、涙に濡れたまま、絶望に見開かれて、サビーナを見上げた。
サビーナは、それを見るともなしに見返して、おもむろに、自分の額から細い金のサークレットをかちゃり、と外した。
「これは、私がカーマインから昔譲り受けたものよ。まずこれを、貴方にあげる。」
抜け殻のように動かないセリーヌソワの前にひざまずき、サビーナは彼女の緩やかにカーブした豊かな髪を手櫛ですいて、彼女にそれを着けた。
「そして・・・」
サビーナは、セリーヌソワの目の前に、自分の右手を指先を上にして軽く握るようにして、差し出した。セリーヌソワは、焦点の合わない虚ろな瞳でそれを見ていた。
サビーナは、セリーヌソワの薄氷のような瞳が自分の手を視界に捉えたことを確認してから、その握りをそっとゆるめる。そこに、小さな黄色い炎が宿った。

『セリーン・・・』

炎から、愛しい男の声が聞こえた。セリーヌソワは、今度は食い入るようにその炎を見つめた。その視線に答えるように、炎は薄れ、やがて消えて、サビーナの手のひらには、小さな白い玉が、二つ、残された。
サビーナはそれを愛しげに見つめ、コロリ、と手のひらで回す。

「ひっ・・・!」
セリーヌソワは、それが何であるかを悟ったのか、怯えた声を上げた。
深い、群青に近い青が、そこにあった。
「カーマイン・・・。」
愛しげにサビーナはその目玉に語りかけた。
そして、そのカーマインに良く似た切れ長の、女にはきつすぎる眼をセリーヌソワにギラリと向けた。神懸かって美しい金色が、周囲の光を纏って、一度クルリ、と光を放つ。
「セリーヌソワ。水流の民の王女。私の両の眼を、抉りなさい。そうすれば、彼の目は、私の身体の一部となって生き続けるわ。」
その言葉に、それまでずっと王女が纏っていた、可憐な弱々しい空気が霧散した。王女は、ゴクリ、とゆっくり唾を飲んだ。
「やる気になったみたいね。これを。」
サビーナは自分の背中に空いた左手を回して、チュニックの裾から護身用のナイフを取り出した。その金の束と鞘には豪奢な細工に、宝石がちりばめられている。差し出されたナイフを、セリーヌソワは震える両手で、だがしっかりと受け取った。
王女は象牙色のサビーナの、細いあごを左手の指先で触った。右手に逆刃に握った、美しいナイフの鞘をその紫がかった小さな口で、はさんで外し、地面に捨てると、その切っ先をランと見開かれた金の左目に向けた。
「突いて、回して、引く。そしたら後は、私がやる。」
サビーナの淡々とした口調に励まされるように、
「突いて・・・回して・・・引く。」
呟くように、王女は繰り返した。
「カーマイン様。」
名を呼んでから。王女は、深く息を吐いて、一度かっと目を開き、グサリ、と勢いよくその金の目を貫き、その手を捻るようにして抜いた。ベチャリッッ、と嫌な音がして、サビーナのそれまで美しい光を放っていた金の目は地面に落ち、砂にまみれた。セリーヌソワは、ナイフの先から血を滴らせながら、その炎の髪をした女の、美しい顔に空いた黒い穴を見ていた。目尻に涙を浮かべながら、全身を震わせながら。けれど、そこから目を逸らさずに。
サビーナは、痛がる様子もなく、その空いた穴に、カーマインの目玉を一つ、指をつかって入れる。入れられた目玉は、居心地の良い位置を見つけるかのようにグルグルと素早く、不気味な動きをした。サビーナは、それを宥めるように、ゆっくりと目を閉じ、瞼の痙攣が収まってから、やはり、ゆっくりと開けた。そこには、深い海色の、暖かな眼差しがあった。
「カーマイン様ッッッ!!!!」
血に濡れたナイフをその手に握り込んだまま、その眼差しを受けて、セリーヌソワはサビーナに抱き着いた。
サビーナは王女の細い両肩を手で押しやって、
「セリーヌソワ、もう片方よ。」
と、宥めた。王女の瞳には、もう迷いはなく、身体の震えもとうに止まっていた。落ち着いた様子で、もう片方のサビーナの光を王女は取り去った。サビーナは、青い片目を満足気に細め、もう片方の目玉を入れる。
再び彼女が目を開けた時には、それまで冷酷なまでに美しい絢爛な女性はおらず、まるでカーマインをそのまま女性にしたような、優しい表情の美しい女剣士がそこにいた。

「セリーヌソワ。カーマインには貴方がこう見えていたのね。」
とサビーナは瞳に熱を込めて言った。カーマインの青色の目を通して王女を見ると、その瞳の色が神々しく銀色に輝いて見えたからだ。その銀色は、王女が内に秘めている強さを、きっともっと如実に伝えるに違いなかった。

「カーマイン様、カーマイン様、カーマイン様ッッッ!!」
王女は、さっと立ち上がったサビーナに、縋った。
「セリーヌソワ。亡き兄の分まで、私が貴方と共に。」
優しく振り返ったサビーナは、その手を王女に差し伸べる。
そして、その眼差しとは打って変わった鋭い視線で天を睨めつけ、低くよく張る声で叫んだ。
「戻れっ!バーミリオン!!私は炎の一族のサビーナ!兄に続きお前の力を統べるもの!!」
高く頭上に真っすぐにのばした、その手の先に大きな炎が宿る。やがてそれは剣の形となって、サビーナの手に収まった。
ピュッ、と一度。その大きく重厚な剣を、まるで木の棒でも奮うかのような素早さでサビーナは振った。剣は低く呻くような声で言った。
「サビーナよ。我はお前と共にあろう。お前の命尽きるまで、我は再び炎の一族に加勢しよう。」
ふん、とサビーナは鼻をならし、失笑した。
「バーミリオン。勘違いも甚しいな。私の命がお前の存在を守るのだ。自由なお前など、ただの怨霊にすぎない。カーマインの命を奪って、少しは懲りただろう?今は、せいぜいその力、『私』のために役立ててもらおう。」

その左手に、セリーヌソワを抱いて、彼女は口を鳴らして自慢の軍馬の一を呼んだ。ふん、ともう一度彼女は鼻をならし、今度は少し凶暴な笑い方で、彼女は口の端を吊り上げた。

そしてそれ以来、彼女たちを見かけたものはいない。

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「それで?」
「ここで終わりですよ。」
「・・・随分、中途半端な終わり方だな。」
「そうですか?よくある終わり方のように思いますが。」
「なんだか如何にも続きそうじゃないか?」
「そういう物語って多いでしょう。」
「そんなもんか・・・。」
「そんなもんです。」
「サビーナと、セリーンは・・・。」
「御伽話の中でも女性の心配ですか。」
「いいから聞けって。その後、二人は幸せになったと思うか?」
「・・・・・・話、ほんとに聞いてました?」

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