2章:王子の帰還



ワ・ワ・ワァ・レレレレェワワワレレレレワワワワワワァ・ァ・ァァァ・ァ・・・・・
モ・モ・モォ・・・モ・モ・・・ォォォト・トトトトォ・・・メェメメメメメテテテテテェテテテテ・テテテテ・テェ・・・・
イィイイイィィィルルルルル・・・ルル・ル・ル・・・・ゥ・ゥ・ゥ・ゥ・・・・
ワ・ワ・ワ・ワワワ・ワワワ・・・・・レレェレレレェ・・

真っ暗闇の中、壊れたマイクに向かってボソボソ話しているかのような声がする。ワンワン反響して、何を言っているのだか分からない。男の声なのだが、女の声なのだかも分からない。
暫く間を置くと、また繰り返される。

ワ・ワ・ワァ・レレレレェワワワレレレレワワワワワワァ・ァ・ァァァ・ァ・・・・・

どこからか、這い上ってくるような、声。寒気が、背筋を撫でて行く。
暗闇が深すぎて、自分が寝ているのだか、立っているのだかすら分からない。
そんな中、不意に、ぬるり、と湿った質感の何かが自分の右足に絡み付く。反射的に振り払おうとして、藻掻くと、ズリリッと、かえって「ソレ」が強く右足全体に絡まる。な、なんだ・・・?不気味に思い、力一杯身体を捩るが、捩った形のまま、足下から這い上った「ソレ」にほとんど全身が包まれる。・・・でかい。生温い粘性のある、「ソレ」は、俺を肌の上を、形を確かめるように、ずるり、ずるりと移動して、ゆっくりと飲み込んでいく。手も足も、指の間まで「ソレ」は入り込み、首から上だけが、辛うじて、「ソレ」から逃れ出ている。

「ハァッ、ハァッ、ハッ・・・」

焦燥感と、圧迫感に、知らず息が上がる。

ワ・ワ・ワァ・レレレレェワワワレレレレワワワワワワァ・ァ・ァァァ・ァ・・・・・
モ・モ・モォ・・・モ・モ・・・ォォォト・トトトトォ・・・メェメメメメメテテテテテェテテテテ・テテテテ・テェ・・・・

ズル、と這い上る感覚が、俺の首筋から耳の側へと移動していく。

「ハァァァァァァァ・・・・・」

耳元で、獣のような湿った吐息が吹き込まれる。メチャクチャに四肢を振り回したいが、「ソレ」にがんじがらめになっているのか、身体は微動だにしない。
気色悪いのに、気色悪くて全身の肌の毛が逆立つようだというのに。「ソレ」の温度は生暖かく、程よい圧迫感に全身が包まれ、だんだんと妙な眠気が襲ってくる。相変わらず、ずる・・・ずり・・・と、体中を、「ソレ」は這い回っている。

こんな・・・得体の知れんモノに包まれたまま・・・眠りたく・・・ない・・・。
気色、悪い・・・一体・・・これ、は・・・。

『ツカ、マエ、タァ・・・』

何かが、ニタァ、と笑う気配がした。

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「王子!!王子!!!」
「団長殿ッ、団長殿!!」
「王子!団長!無事ですかッッ!」

ワンワンと重なるように鳴り響く声に、意識が緩やかに戻る。と、同時に、背中と後頭部に鋭い痛みが走った。
「グッ・・・・ウッ・・・。」
痛みでつい先程までの惨状を思い出す。ソルは、ソルはどうなった!!俺は、焦る心に追いつかない、緩慢な動きがせいぜいの、自分の身体を呪いながら、自分の身の内を確認する。
「う、うぅ・・・。」
耳元であがった声に、安堵する。生きている・・・。怪我は・・・。怪我はないのか・・・。緩慢な動きながらに、抱えているソルの様子を確認しようするが、俺からソルを奪うようにして抱きしめる何者かに阻まれた。ほとんど反射的に睨みつけて俺はソルを抱き返そうとした・・・ところで、異変に気づいた。
「団長殿!お手柄です!王子はご無事ですッッ!!」
俺からソルを奪った何者かが、俺と目を合わせ、興奮した様子で高らかに宣言した。
オオ・・・と、俺と、その見知らぬ中年の男と、ソルを取り囲む十数名がどよめく。
ーなん・・・だぁ・・・?
両肩をガッシと中年の男に掴まれているソルは、おそるおそるといった表情で、俺を振り返った。・・・ソル・・・?なの・・・か?
「オ、オスカー・・さま・・・。」
小さな声で、ソルが呟く。確かにソルだ。ソルの声。ソルの髪形。ソルの顔。ソルの・・・だが、ついさっきまで、俺と同様、ださい洋服を着込んでいたはずのソルは、今はベルベッドや絹のような、見るからに高級な素材で全身をコーディネートしていた。俺が倒れ込んだ格好のままに、呆然と見上げていると、
「団長、お怪我はありませんか?」
男だか、女だか分からない、黒い甲冑を着込んだ騎士が、俺の目の前で膝まづき、問いかけてくる。団長?俺のことなのか・・?頭が混乱する。ここは・・・どこだ。起き上がろうとして、ザリ、と頬が固い岩盤を擦るだけに終わる。・・・土・・・。どこかの、惑星に、不時着したのか・・・。
「無理をなさらないでください。さすがの団長でも、すぐに動くのは無理ですよ。この瓦礫の山に埋まったんですから・・・。よい、しょ・・・と。」
肩の下に肩を入れられ、引きずり起こされる(態度からは伺えなかったが、女性だと直感した)。なんとか立ち上がり、首を捻る。周囲にはちょっとした丘のような瓦礫が乱雑に積まれている。もしかしなくても、あの中に俺とソルが埋まっていたという事だろうか。もし、仮にそうだとするなら、俺の生命力は確かに一級品だ。自分で自分に感嘆の溜め息が漏れる。・・・だがしかし、俺たちは、惑星への移動中だったはずだ・・・。

一体、何故・・・?
ここは、一体・・・。

考えても答えは出ず、途方に暮れる俺の胸中の問いに答える声などある訳がなかった。

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簡単な医師による手当てを受けた後、俺は、アレンと名乗る、さらりとした黒髪のボブヘアの副団長・・・どうやら俺(?)の部下らしい、その女性と、よく団員が使っているという簡素な談話スペースに二人で入った。
「つまり・・・王子をお助けした時の衝撃で、それ以前の記憶がない・・・ということでしょうか。」
アレンが、おずおずと答えを出したのは、ああだこうだと随分俺と意見交換した挙げ句の事だった。
「と、言うよりは、中身が別人と入れ替わったと理解して欲しいところだが。」
淡々と返してから、俺は、髪を整えるつもりで、自分の頭をスッと一度撫でた。おそらく、あの「王子」と呼ばれている人物も、中身は別人で、ほぼ間違いなく、俺の連れのはずだ、とチラリと思ったが、更に余計な混乱を招く可能性を考えて、胸に閉まっておく。ソル・・・あの後、別行動になってしまったが・・・どう過ごしているのかが気がかりだった。姿の見えないリュミエールがどうなったのかも気になるが。
俺と彼女は、着込んでいた甲冑を脱ぎ、平服と呼ばれている制服に着替えていた。雰囲気は聖地での俺の執務服に近い。鈍い銀色の軽い素材で、控えめなサイズの、虎の頭を形取った肩当てが左肩についており、さっきまで着込んでいた甲冑と同じく、全体的に黒と赤でコーディネートされている。黒い詰め襟に部分部分に赤い装飾が施されたデザインだ。ふくらはぎの辺りまでの長めのマントも、ボルドーと赤の間くらいの色合いで、襟口やポケットの装飾と同じ色。すんなりと俺に似合っていた。・・・いや、俺はどんな服でも着こなすのではあるが。先ほど着替える時に、鏡で自分の姿を見たが、着ている物や装飾品は違うが、姿形は見慣れた俺の物だった。「別の惑星に住むそっくりさん」ということだろうか。少なくとも、神鳥の宇宙の外に出ていないことを信じたい。ほのかに陛下のサクリアを感じないかと心を集中するも、今のところ無駄に終わった事を考えると、あるいは、神鳥の外なのかもしれないが。・・・だとしたら、ますますここは何処なのだろう。胸中の混乱とは無関係に、俺の逞しい脳は、目の前にある現実問題に対応しようと必死である。さすが俺と言いたいところだ。
「中身が別人!?そっ、そんな!!その立ち姿、表情、仕草、話し方・・・どうみても、団長ですよ!!でも・・・いや・・・い、一体・・・ど、どうすれば良いのでしょうか。宰相閣下の白騎士団との緊張関係が続く中、団長が記憶喪失となれば、城中大混乱になります・・・。」
俺の脳内会議とは無関係に、アレンは飛び上がるような声を出して、拳を握った。そんな顔をされてもな・・・と俺が胸中で溜め息を吐いたのは見逃して欲しい。
「・・・まずは君の心配事の内容を確認したい。俺も何故こんな事になったのか、全く見当がつかず、混乱しているが。俺にとっては、ここの人々は赤の他人だが、赤の他人に余計な迷惑をかけるのは、俺の主義に反する。可能な限り、混乱が最小となるよう、協力したい。」
まあ、ここの住民が神鳥の民であるというのであれば、赤の他人とは言えないが、それもややこしいので、胸にしまっておく。
「は、はい・・・。」
アレンは逡巡するように、一度視線を斜めに落としてから、俺の目をしっかりと見据えて、話始めた。頭がいいのか、話は順序性があって分かりやすい。俺は適宜質問を差し挟みながら、なんとか分かる範囲で現状を理解した。
アレンの話によると、この惑星では、5つの大陸に、3つの国が存在している。宇宙の外と交流がない(というよりは、宇宙開発の技術がないのか)らしく、「惑星」という概念はないようで、惑星名は不明。3つの国のうちの1つは、技術大国として名高いが、鎖国中で他国と交流が乏しい「ギリス」という国。1つは、「白の女神」という女神を振興する宗教国で「タリア」という国。そして、俺が今居る、アレンの住む国は、王制を引く封建国家で、「ネリス」というらしい。この「ネリス」が実に世界の半分を支配しているという。「ネリス」は、「王」が持病の悪化で政治から退いており、実質は王を補佐する「宰相」が全権を握っている。そして、おそらくソルが入れ替わってしまった、俺が「団長」との入れ替わり際に助けた人物は、「王子」であり、王位継承の第一候補。ありがちなことに、今、政治は「王子派」と「宰相派」に分裂していて、俺たちの所属する「黒虎(こうこ)騎士団」通称「黒騎士団」は、「王子派」ということらしい。「黒虎騎士団」が「王子派」になるのは、王子の人格や人気によるものではなく、どうやら、「王子親衛隊」の任を、「黒虎騎士団」の幹部が担う事に由来しているところがほとんどだと言う。
「って、そんなこと言って大丈夫なのか?不敬罪・・・があるか知らないが、不敬と取られるんじゃないのか?」
と俺が思わず口を挟むと、アレンは、
「やはり団長が混乱しているだけなのでは?団長はとても王子を尊敬されていますよね。よく、私を不敬だぞ、と嗜めていらっしゃいました。」
といって、くす、とやはり中性的で健康的な笑顔を見せた。
「ほう、素敵な笑顔だ。もっと見せてもらいたいな。」
思わず感想が漏れると、
「やはり、別人なのですね・・・。団長は決してそう言った浮ついたことはおっしゃいません。」
と、心の底から落胆された。・・・なんてことだ!姿形以外は全然似ていないじゃないか!!女性を褒めてこれほどがっかりされるだなんて、俺の人生初めてだ、非常に傷つく。
「女性を褒めて、そこまでがっかりされるのは初めてだぜ。結構傷ついた。」
素直に告白すると、
「す、すみませんっ!!思わず失礼な事を・・・私も、正直混乱しています。」
勢い良く謝罪され、ふぅ、と溜め息が続いた。
うーむ・・・。
「まあとにかく、宰相派との緊張関係が続いていて、俺の、引いては黒虎騎士団の王子への忠誠はそれなりに、政治的に意味がある態度になっている訳だな。」
「はい。その通りです。我々軍人は、議会では発言しませんが、宰相派との軍事力の均衡によって、今は内乱がなんとか避けられている状態なのです。」
・・・これもよくある話のように思う。一体、いつ、どのような形で聖地に戻ることが可能なのかは全く分からないが、ひとまず、この状況下で混乱を引き起こさない為にも、俺は、この「団長」という役割を当面うまく演じなければならないだろう。
「ところで、『団長』と君は呼ぶが、俺の名前は、なんというんだ?」
「・・・オスカー様です。」
覚えにくいフルネームが返ってくると思ったが、聞き慣れたファーストネームが返ってきた。
「ほう、それは興味深い名前だ。ところで、ファミリーネームは?」
「ふぁみりーねーむ?それはなんですか?」
どうやら、ファミリーネームを取らない文化らしい。
「いや、ないのなら良いんだ。変な事を聞いて済まなかった。ところで・・・もしかして、王子の名前は、『ソル』というのか?」
「!!」
息を呑んで、暫しの沈黙がある。何かやらかしたか、と思いつつ、「何か、問題のあることを言ったかな?」と、先を促すと、
「我々は、王子の御名を発音する事を許されていません。王子の御名を発音する事ができるのは、国王陛下だけです。それこそ、不敬です。」
きっぱりと言ってから、躊躇うような素振りがあり、アレンは意を決したように、口を開いた。
「・・・ですが、その通りです。その後、王位継承者を表す称号の『ラー・クロウ・ネリアス』と続きます。」
・・・なるほど。
「不用意だった。済まない。次からは気をつけよう。」
俺が頷くと、アレンは複雑な顔をして、黙って、頷いた。

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幸いなことに、王子の暮らす宮殿に、「黒虎騎士団」の幹部は、小さな居住区を与えられていた。中でも、団長と副団長は私室を持つ事が許されていて、俺とアレンの部屋は隣同士だった。今日は先ほどの事故で途中切り上げとなった「鷹狩り」の行事の他は予定が入っていないということなので、俺は私室の中を早速物色することに専念する。
「悪く思うなよ、オスカー。」
俺は独り言を言いながら、まずは机の引き出しを漁る。俺と同じく、華美なものを好まないのか、小物類は機能性を重視したシンプルな物が多い。女性に関する考え方の違い以外は、意外と嗜好も近いのかと思いつつ、何か件の「オスカー」を知るような物が見つからないかと更に漁っていると、分厚い革製の手記らしきものを見つけた。ベッドに腰を落ち着けて、早速捲ってみる。

「・・・

サラの月 21日目
午前は上院の定例議会、午後は外交、経済、福祉と3つの会議が続く。
会議の後はいつものことだが、王子の表情が硬い。教授陣は果たして機能しているのだろうか。ただでさえ、王子派の政治家にはろくな奴がいない。王子が議会の議題を全てとは言わないまでも、把握されていない態度が目立てば、ますます宮殿内の王子の孤立が進んでしまう。心配でならない。

サラの月 22日目
午前は謁見の対応。午後は市中の視察の予定だったが、王子は視察のご予定をキャンセルされた。気分を変える為にも、民の暮らしを理解する為にも、良い機会だと考えていたので、非常に残念だ。

サラの月 23日目
今日は午前、午後ともに講義が続く。夜は宰相からの謁見があったが、事務的なものだった。
王子に鷹狩りの警備の打ち合わせの為、私も別途謁見を求める。許可されたが、王子は胸中をお話しにならない。結局、事務的な話のみで終わってしまった。陛下が王子とお話する機会が、一刻も早く巡ってくるとよいのだが。陛下の容態について、医師はあまり話したがらないが、やはり回復の兆しは見られないのだろうか。このまま、王子が王位を継ぐ事になれば、王子のお心はもっと閉ざされてしまうのではないかと不安だ。

サラの月 24日目
・・・」

文字が読めないかもしれない、と思ったが、不思議な事に、見慣れぬ文字なのに、すらすらと内容が理解できる。そういえば、会話も苦もなくできているな、と俺は思い直した。疑問に思っても仕方がないかと俺は現状を受入れる。
手記の記述は、王子、王子、王子・・・。たまに団内の騎士の成長や力関係に関するような記述が見られるものの、その割合たるや、ざっと確認した部分では、10:1くらいのように思える。どうやら「オスカー」の関心事は、ほとんど全て王子のことなのだな、と理解する。何故、そんなにも王子に関心があるのかは、ざっと見ただけでは分からないが、どうも「王」に、「オスカー」が幼少期に目をかけられていたような記述があるから、そのせいなのかもしれない。目をかけられた、といっても、たかだか名前を覚えていてくれたとか、その程度のことなのだろうが。アレンの態度を見る限り、王制を引いているといっても、それほど、王や王子に対する忠誠心が徹底して全ての騎士に叩き込まれているとは思えないから、きっとアレンが言うように、「オスカー」が特別なのだろう。
「謁見」が団長の立場で可能ならば、何か理由を付けて,ソルにこちらから会う事ができないだろうか・・・と考えながら、部屋の中を見回すと、書籍類が本棚に並んでいるのが目にとまる。ほとんど政治や3つの国の文化や歴史に関するものばかりだ。軍人とは言え、王子の側近として何かできないかという気持ちの現れかと思いながら、ぱらぱらと捲って内容を確認し、頭に出来る限り叩き込む。
ふと、一冊の本から、色褪せた写真のようなものが舞い落ちた。その顔をみて、一瞬、ぎょっとする。髪の色はブラウンがかっていて、ウェーブがかかった髪質は、違っているし、年頃は14、5歳といったところなのも、違いと言えば違いなのだが・・・。
「リュミエール・・・?」
濃い藍色の瞳、顔立ちは間違いなくそっくりだった。けれど、写真のその人物は、明らかに女性だ。控えめな笑顔を浮かべていて、薄幸そうな雰囲気を醸し出している。年頃に似合わない、儚げな女らしさがあった。木製の部屋の中で、揺り椅子に座り、膝掛けをかけ、ほんの少し上から被るような構図で撮られていた。
それを胸の内ポケットにしまい、俺は早速アレンの部屋に向かった。
コツコツ、と二度ノックし、返事を待つと、アレンが扉を開いて、俺を招き入れてくれた。女性と男性が部屋で二人で過ごす事には、それほど気を使わない文化なのだな、実に素晴らしいと俺は感心しながら、部屋に入る。自由時間とは言え、待機中なのだから、軍人としては当たり前のことだろうが、彼女も制服のままだ。勧められた椅子に座って、俺は早速切り出した。
「単刀直入に言おう。王子に謁見したい。可能だろうか。」
少し吃驚するように、彼女は瞳を見開くと、
「い、いつですか?」
と聞いた。
「出来る限りすぐに。私室で手記を確認したんだが、王子のことを、『俺』は随分心配していたようだな。」
正直に告白する。アレンは口元に手を当てると、
「はい・・・。まあ、それはそうなのですが・・・。出来る限り、すぐに、ですか。」
渋るような表情。
「俺が『オスカー』の役割をするには、王子にお会いする必要があるように思う。それに、それほど王子が『俺』にとって重要な人物なのであれば、王子に会えば、何か思い出すかもしれない。」
多少卑怯かとは思ったが、アレンが喜びそうなことを言ってみる。
「それは・・・。でも、そうかもしれませんね・・・。謁見・・・謁見ですか・・・。」
前向きに考え始めてくれたようで、ほっと胸を撫で下ろす。「もしかしたら、王子も俺と同じく中身が入れ替わっている可能性が高い」と言おうか迷ったが、おそらく、彼女をより混乱させてしまうだろうし、そんな状況下で、俺と王子を会わせる事に、逆に躊躇いが生まれる可能性もあった。
「うーん・・・。ああ、でも、警備のシフトを変更するなどの理由があれば、短時間でよければ、すぐに会う事ができると思います。今回の鷹狩りの事故で、団長が負傷されたこともあり、多少シフトも狂っていますし・・・。」
ふと思いついたように、彼女が言う。
「短時間の方が、ボロがでないだろうし、有り難い。シフトの変更案を、一緒に作ってもらえるだろうか。」
俺が少し頭を下げると、
「そんな!やめてください!」
彼女は慌てるようにガタッと席を立ち、
「分かりました。すぐに作ります。シフト表を持ってきますから、ここで少しお待ち下さい。」
といって、頭を下げ、部屋を出て行く。彼女の部屋にも、装飾品らしきものは何も無い、家族の写真すら、見えるところにはなかった。ベッドヘッドの小さなガラスコップに活けられた、白い花が、唯一彼女の女性らしさを物語っている。
俺は、胸ポケットにしまった、女性の写真を取り出し、眺めた。
すぐに、リズム正しい足音が近づき、ノックの後、「私です。」と声をかけてアレンが入ってくる。振り返った俺をみて、
「それは・・・。」
と、驚くような表情を見せた。視線が、写真に集中している。
「これは、誰なんだ?」
知っているような素振りに、思い切って聞くと、アレンは困ったな、といった様子で眉を寄せて笑った。
「貴方は、本当に団長とは別人なのかもしれませんね・・・。それは、団長の妹御と、私は団長から聞かされています。詳しくはお話にならないので、分かりませんが・・・おそらく、既に故人なのではないかと私は思っています。団長は、あまりプライベートの事はお話しになりませんが・・・それでも、とても大切な人だったのだと思います。彼から聞いた唯一のご家族のお話ですし、お話しになるとき、とても大切なものを懐かしむようなお顔をされていました。」
妹・・・というには、あまり似ていない。
「似ていない、とお思いでしょう。私もその写真を見たとき、そう思いましたから・・・。それに、その人は・・・。」
と、言いかけてから、苦笑して一度口を結び。
「シフトを持ってきました。すぐに組み替えられそうです。王子に、お会いになりますか。」
脇に抱えていたファイルボードを少し持ち上げて笑ってみせる。
「ああ、頼む。」
俺も、流された振りをして、写真をもう一度胸ポケットに閉まって、笑った。

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王子には、あまり謁見願いなどが入らないのか、意外にも謁見を申し出てすぐに、許可が降りた。アレンと俺は、早速王子の居室のすぐ隣にあるという、謁見室に通された。中に入ると、既に、「王子」が豪奢な椅子にちょこんと所在無さげに座っており、王子の侍従なのか分からないが、中年の陰気そうな男が一人、その脇に立っていた。アレンと俺は、膝を折って頭を垂れる。「王子」は、他の誰が発言するより早く、口火を切った。
「オ・・・、団長、と・・・。二人にして欲しいです。」
消え入りそうな、控えめな声ではあったが。
「ハッ!」
と、アレンが間髪入れずに、立ち上がって敬礼し、入ってきた扉から退室すると、驚いたような様子で、固まっていた侍従らしき男も、「わ、わかりました・・・。」と俺たちが入ってきた扉とは別の扉から、退室していった。
二人になって、数瞬の後、俺は、立ち上がって、はー、と大きな溜め息を吐き、ぐしゃ、と髪を潰してから聞いた。
「ソルか。」
ソルは、慌てて椅子を降りて、
「は、はい。」
と、さすがに泣きそうな顔で俺を見上げた。俺も肩を竦めてみせる。
「『王子』なんだろ。とりあえず、座ってろ。」
「は、はぁ・・・。」
ソルは感情が抜け落ちたような、例のぼーっとした顔に戻りながら、椅子に戻る。
「困った事になったな。しかし、現状は理解した。お前は確かに俺が知っているソルのようだ。」
淡々と言いのけてやる。
「はい。オスカー様も、オスカー様なんですね。」
「まあ、そういうことになる。」
なんとも奇天烈な会話だ。思わず眉がより、苦笑してしまう。顔を引き締めてから、
「ともかくだ。俺もお前も、名前も姿も全く同じ、別人の身体に入り込んでしまったようだ。しかも、この国はどうやら、緊張状態にある。分かるか。俺やお前の中身が別人と分かれば、対抗勢力がそれにつけ込んで来て、国内の力の均衡が崩れ、戦争を引き起こすかもしれないということだ。ちなみに、「対抗勢力」とは、現状、「王子」や「王」に変わって全権を握っている「宰相」だ。だから、「宰相」には用心しろ。」
できるだけ、分かりやすい言葉を使って説明すると、
「そ、そうなんですか・・・。」
頼りない返事が返ってきた。
「そうだ。だから、俺とお前は、『王子』と『それを守る騎士団の団長』という役割を演じる必要がある。この国の民と、俺たちがどういう関係なのかはまだ分からないが、少なくとも、無用な混乱を引き起こすのは得策じゃない。俺たちの生命の安全を考えても、だ。」
俺のやや乱暴な語彙の選び方にも関わらず、ソルは相変わらず、ほとんど無反応だった。
「リュミエール様は、どうしているのでしょうか。」
しかし、事態をどうやら少しは理解しているらしい。
「適切な質問だな。今のところ、分からん。奴だけは無事で、俺たちのこの状況をなんとかすべく努力していると信じたいところだがな。」
なんとも自分勝手な希望だが、と俺は内心で付け足して嗤った。
「それより、これからの事だ。お前は、まず、王子の部屋で、手記や個人的なメモを探せ。人物になりきるのに役立つ情報をとにかく得るんだ。文字はおそらく、読めるはずだ。俺も何故か読めた。そして、その情報を元に、出来る限り『王子』になりきれ。この身体の持ち主、『団長オスカー』のメモによると、どうも頼りない王子だったようだ。お前でもなんとかなるだろう。いや、なんとかしろ。それと、お前は、幸い『王子』という特権のある立場だ。俺とお前との二人の時間を増やすことができるかもしれん。お前は、黒虎騎士団の団長、つまり俺を、剣技の教師として、出来る限り頻繁に、講義を受けたいと要望しろ。そういった言い分が、通るかどうかは分からないが、通れば、俺とお前がこういった話をする機会が増える。剣技の座学と称して、俺がお前に、俺が得たこの国の成り立ちや政治の知識を教える。付け焼き刃でも、ないよりはマシだろうし、もともと王子はそれほど優秀というわけではなさそうだからな。」
いつまで謁見が許されるのか分からないから、俺は、伝えたかった事を捲し立てた。
「はい。分かりました。」
本当か、と聞きたくなるくらいに簡素な返事に、俺は拍子抜けする。相変わらず、何を考えているのか分からない奴だ。知らぬうちに、俺はしかめっ面でもしていたのだろうか。ソルが珍しくも、おずおずと切り出した。
「実は、僕。時間が、少し、あったので、王子の日記を読みました・・・。王子は・・・僕と似ている性格なのかもしれません。」
この状況下で、自分から情報を取りに行ったというソルが、俺は俄には信じらずに、唖然としてしまう。疑問をなんとなく感じ取ったのか、
「部屋の机に、開きっぱなしで置いてあったので、ちょっとみて・・・なんとなく、どんどん、続きが・・・気になって、読んでしまったんです。オスカー様の、今、教えてくださった事、全部、やってみます・・・。僕は、聖地に、戻らなければ、いけないのでしょう?そして、それまでの間、ここで、王子の役を、やらなければ、いけない。」
例の、言葉と言葉を区切る話し方で、ソルは、最後に少しだけ、困惑した表情を覗かせた。大きな蒼色の、歪んだ瞳は、精神世界で出会った頃の・・・15,6歳の頃のリュミエールを彷彿とさせた。
「そうか。確かに、お前は理解力が無い訳ではなかったな。何を考えているのか、俺が理解できないだけだった。」
聖地でのやりとりを思い返しながら、確かに、俺の言う事の内容を理解できない訳ではない事は、知っていたのだったと思い出す。それに、考えてみれば、ソルとマルセルは、確か同じ年だ。ソルの態度が頼りないせいか、ついつい、もっと幼い子供を相手にしているような気になっていた。
「オスカー様。オスカー様は、僕を、助けて、下さるのですか。」
ぼーっとした表情はそのままだったが、ソルの目が、確かに、俺の目をはっきりと見据えた気がした。俺は、その視線に、何故だか突然、落ち着かないような、胸騒ぎを覚えた。初めてのことだからか・・・?違和感を覚えながらも、
「当たり前だ。それも俺の仕事だ。」
とソルの瞳を見つめ返し、はっきりと答えた。
「・・・そう、ですか・・・。」
ソルは、視線をほんの少し下げて、何かを確かめるように、小さく頷き、口元を動かした。聞こえんな・・・と、「何て言った?」と聞き返そうとしたところで、侍従らしき男が消えた扉から、コツコツ、とノックの音が聞こえた。
「いいか、宰相には気をつけろ。次に俺がお前の護衛をするときには、簡単な護身を一通り教える。それまで、死ぬな。」
早口で言うと、俺は、返事を待たずにソルから距離を取って、また、頭を垂れた。
「王子、宜しいでしょうか。」
「はい。入って下さい。」
ソルが答える。これくらいのやりとりが出来るのだから、日常生活はなんとかなるだろう。言葉遣いは気になるが・・・強制するにしても、アレンに普段の王子の口調を確認してからだ・・・。
「団長殿、そろそろ、王子はお薬のお時間です。ご用はまだかかりますか?」
「いえ、済みました。王子、本日は特別のお声がけを頂き、有り難うございました。それでは、失礼致します。」
敬礼し、踵を返す。マントがバサッと翻る音に、俺は聖地をちらりと思い出した。侍従は『特別のお声がけ』とはなんだったのか、俺の退室後、王子に問うだろう。そこでソルが家庭教師の話を出してくれればいいんだが、と思いながら、俺は謁見室の外で待機していたアレンと合流し、王子に会ってはみたが、新たに思い出せたことはなかったと結果報告をして、私室に戻った。

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数日後。

キィンッッ、キンッ!キィンッッ!
「隙だらけで欠伸が出ます。大人相手に剣を振り回して、上がお留守とはどういうことですか。」
悪態をつきながら、最低限のステップで、左右に身体を揺らしながら、ソルの攻撃を受けたり躱したりとノラリクラリつき合う。これでも、相当振り回せるようになってきた方だ。剣を持ち始めた日に比べたら、たった数日でよくぞこれほど、と思う程には、「らしい」動きにはなってきている。問題は。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「もう休憩ですか?王子。私の弟子に王子と対して年の変わらない者が(変わらないということは本当はないが・・・)おりますが、ソイツは、貴方の10倍打ち合っても、弱音の一つも言いませんよ?」
肩を竦め、やれやれと、頭を振る。持久力のなさだけは、たった数日の訓練ではいかんともしがたい。
「分かって・・・はぁ、はぁ・・・います・・・。まだ・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・打ち合えます。」
剣を持つ腕は既にほとんど下がりきっていて、どう考えても打ち合える程の体力は残っていないが、何故か、瞳だけは、しっかりとこちらを見上げている。例の、魂の入っていないような、熱の籠らない目・・・。だが、表情や台詞は、この数日で、まるで見違えるように活き活きとしてきている。一体これはどういう効果なのか。俺は不思議には思いながらも、そのことに、いつのまにか、心地よさを覚えている。
「フッ。気持ちだけは買いますが。王子、腕が痙攣していますよ。これ以上は無理です。一度、休憩にしましょう。」
言い終わるか終わらないかのうちに、ソルの身体がフラ、と揺れる。慌てて駆け寄り、
「おっと!血が下がったか・・・。気分は悪くありませんか?」
身体を支えてやりながら、自分のマントを外し、固い床に引いて、ソルを横たえ、上半身だけを抱いて、下瞼の色を確認する。その間に、休憩用のタオルや水を用意していた侍女達が数名駆け寄ってきた。俺は指示を出しながら、ソルの表情を伺う。
「・・・っと・・・。」
ソルの唇が動く。俺は、耳をソルの唇に近づけた。
「・・・もっ・・・と、がんばり・・・ます・・・から。」
もっと頑張ります、か。サクリアの精錬でも同じくらいの意欲を見せてくれればな、と知らず苦笑してしまう。
「今も充分努力されています。」
笑って見下ろすと、一瞬、瞳を見開いてから、
「ああ、よかっ・・・た・・・。」
といって、暫し気を失ってしまった。
少しやりすぎたかと反省しながら介抱していると、
「失礼します。午後は市中の小規模な視察がありますが、どうされますか。」
副団長が後ろで膝をつき、小さな声で問う。
「少し気を失っただけだ。すぐに回復されるだろう。」
「はっ。では予定通りに準備を進めます。」
「頼む。」

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市中の視察はさすがに王子と俺、侍従は馬車の中だ。
アレンが、その前を馬で視察経路に沿って誘導する。車の後ろを、2名の団員が警護する形だ。アレンの話では、市中といっても城下では、日頃から警備の厚いらしく、これで通常警備という事だった。
「賑わって、いますね。」
ソルのポツリとした呟きに、
「そろそろ商店が立ち並ぶ区画に入ります。車を止めて、何かお求めになるのも良いかと思いますが。」
俺が提案すると、
「とんでもない!!王子の命をお護りになったことは立派ですが。団長、最近の貴方の王子に対する態度はいささか行き過ぎておりますぞ!!」
向かいに座る侍従が、唾を飛ばす勢いでまくし立てる。
「じい。いいのです。オスカーが、護ってくれますから。」
ナイスフォローと俺は内心で間の手を入れるが、
「は、はぁ・・・。王子は、最近、団長に対して少し信任が厚すぎるのではないですかな。」
侍従は気のない返事で、ブツブツと文句を口の中で潰している。
「オスカー。私は、どのお店を見るべきか、分かりません。お任せします。」
ソルは相変わらず、じーっと車窓を見やりながら告げた。どうやら、俺が、なんでもよく観察しろと言った事を実践しているらしい。これは次の講義の時に感想を聞くのが楽しみだなと思いながら、俺は予め目星をつけていた商店の前で車を止めさせた。
先に降りて周囲を確認する・・・と、キャアキャアと予想外の喧噪があった。ドアを開けようとした手を止め、そちらの様子を伺う。
「ちょっと!!白騎士団の方がいらしてるわッッ!!」
若い女性の興奮した声が耳に届き、ザワッと周囲の人々の気配がそちらに集中する。白い詰め襟に、濃紺のアクセント。同じく濃紺のマント。俺達の制服を正反対に配色したら、こうなるだろうなと思うような装束に身を包んだ、派手な3人組が、そこにいた。
どうやら、街の人気者・・・というより、その3人を取り囲むのは若い女性ばかりだから、若い女性達の人気者という方が正しいのかもしれないが・・・らしい。俺は、「何事です?」と、問う御者に、「いや、白騎士団が来ているようだ。」と簡素に答える。助手席の侍従が俄に緊張する素振りを確認して、「そのままで。」と告げる。人数は少ないし、まさかこんな市中で団員同士が小競り合い等という程、軍人の教育が進んでいない訳ではないと、俺は既に理解している。とはいえ、対抗勢力は対抗勢力だ。侍従の緊張は当然だろう。アレンが馬を降りて俺に近づき、
「白龍騎士団の団長と副団長、それから向かって右の男は、白騎士団のナンバー3です。」
囁くような声で早口に告げる。俺は聞き流しながら、胸中で叫んでいた。
ーなんてこった、最悪だ!
周囲の若い女達の食いつくような勢いを、副団長とナンバー3という男が団長であろう男を庇うようにしている。真ん中の男は、困惑し切った表情で、二人の大柄な男に護られるようにしながら、それでも微笑みを口元に称えている。いかにも軍人といった体躯の男二人に対し、明らかに、団長であろう男は優男風の細身だ。
「白騎士団の団長は、あのお姿ですから、女性に人気が高くて・・・。」
アレンの溜め息まじりの評価に、俺は『アイツが女性に人気だと?それじゃ立場が逆転してるだろうが!』と突っ込みを入れたが、突っ込みどころがありすぎて、どこか見当はずれになっている気がする。
「団長の名前は、リュミエールだろ。」
アレンが、え?というように俺を仰ぎ見て、「名簿でも確認なさったんですか?」と問う。俺は「ああ」と答えたが、その声は渇き切って、力がない。
呆然と見続ける俺の視線に、やがて、リュミエールが上がって、絡む。
・・・?
その視線に、違和感を覚える。退廃的で、どこか危なげな、その視線。ものの数秒の後、リュミエールも俺も、まるでそれがルールだと言わんばかりに自然に、互いに視線を逸らす。
しかし・・・

なんてこった!

俺は胸中でもう一度叫んでから、騒ぎが治まるのを待って、ソルを数軒の店に案内するという仕事に戻った。


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