屈託ない狂気が彷徨う夜に



【Zephel & Olivie】

 歓待せよ、さもなくば!
 今日はハロウィン
 これぞハロウィン
 歓待せよ、さもなくば!

まるで呪文のように、外で子供が歌い叫び、はしゃいでいる。
「うるさいガキ共だねぇ、全く。」
溜め息と共に思わず零した愚痴に、
「オレもウルセーガキは嫌ぇだけどよ。今日ぐれぇーいーじゃねーか。」
助手のゼフェルが混ぜっ返す。
今日ぐらいだって?もう1週間は続いてるよ、とアタシは内心で反論する。『これぞハロウィン?!まだ昼間だよ!夜まで待ちな!』とでも戸口から飛び出して怒鳴ってやろうか・・・やや暗い妄想を頭を振って追いやって、目の前の作業に集中力を戻す。丁度、レシピ通りに反応が終わって、手袋を外しているところで、
「買い出し行ってくる。何か買ってくるモンあっか?」
ゼフェルの方も区切りがついたのか、カウンターに付けた作業用のハイチェアから飛び降りながら、振り返り様に聞いてくる。
「うんにゃ。買い物じゃなくて、例の『マンドラゴラ』見つけて来て。そうねぇ、10個ほど!出来るだけグロテスクな形のヤツを頼むよん。」
げぇ、とゼフェルは舌を出しながらも、土いじり用のグローブをツールボックスから引っ掴み、カウンターにある店のお金がストックしてある棚から紙幣を適当に取り出すと、パーカーのポケットに無造作に突っ込んで、
「じゃ、行ってくるわ。」
と言い捨てていった。からんからん、と、遅れて渇いた扉のチャイムが鳴る。

錬金術師の養成学校時代から数えて、私の店はもう5年目になる。見た目も実年齢も若すぎて、話し方にも貫禄がない割には、この競争の激しい城下町で、結構稼いでいる方だと思う。街の工房で働いてた、アタシより、若手の優秀な職人を一人雇える程には潤っていた。
店の名前は「魔術師オリヴィエの工房」。何の変哲も無い名前は、些か主義に反するが、錬金術師学校で唯一気に入った講師と言える(彼は非常勤でほとんど授業はしていないのだが)重たい書籍を持ち歩いている学者の友人が付けてくれた名前なので、無下も出来ずにそのままになっている。実際、店の多過ぎるこの城下町では、何をしているかが瞬時に分かる店名というのも大事で、『錬金術師』と付けるところを『魔術師』としたのが良かったのか、意外に「ああ、あの商店街の外れ角にある、魔術師の店ね」と記憶に残るようだった。
依頼は週に1〜2件。オーダーに応じて様々なものをこさえる。オーソドックスに、薬品とか、料理、工具から、文具、時に化学兵器まで。どちらかというと、液類の調合がアタシの専門で固体は手慰み程度。だからあまり大きな物の発注は無く、せいぜい小道具程度のモノが多かった。
金持ち相手に売っている万病に効く「マンドラゴラ」は、ヒット商品でそれなりに受注がある。マンドラゴラといっても、適当なグロテスクな木の根を拾ってきて、それに痛み止めの薬を精錬するだけではあるのだけど。因に、本物の「マンドラゴラ」の方は、刺激が強すぎて、まだ素材の活きる商品開発には成功していない。
飾り窓の平屋建ての店は、気難しい美術家であり、建築家である別の友人が建ててくれた。といっても、彼はデザインしただけで、実際の大工仕事は、彼が「知り合いに、元軍人で暇を持て余してる人が居てね」と連れて来た男が、驚異的な体力で、ほとんど一人で担当した。大してお金も渡していないのに、出来上がった店を見上げながら、「いやあ、良い仕事をしました。」と、その如何にも軍人、といった体躯の男は、汚れた顔を綻ばせて、幸せそうに溜め息を吐いた。

カランカラン、と再びドアが鳴って、私は作業用のゴーグルを外して、首からぶら下げ、視線を上げる。
カウンターの向こうに、華奢な男が一人。
「ふぅん、結構繁盛しているみたいだね。」
耳より少し長いストレートの濃紺の髪をさらりと頭の動きに合わせて揺らし、この店の建築デザイナーは特有のひっかかる物言いで口を開く。アタシは、加熱中だったビーカーを火から下ろして、カウンターに移動しながら、髪を掻き上げて言った。
「お陰様でね。それで?今日は何の御用?」
「そうだね。天然水を一つもらおうか。」
首に巻き付けた濃紺のスカーフを解きながら、風よけのマントの上にだらりと下げ、彼は思わせぶりに言う。
「飲用?」
片眉を上げて応えながら、アタシは、カウンターの上の棚から、山で汲み上げて貯めてある瓶詰めの水を手を伸ばして一本取ると、それを彼に放ってやった。
「いや、弱っている植物にも良い水が必要だって言うのさ。僕の愛人が。」
クス、と彼は小さく鼻を鳴らし、言われた時を思い出すように、少し目を伏せた。『僕の愛人』が、彼の店に住み着いたらしい、金髪の美少年だということは分かる。だけど、植物・・・ですって?
「そりゃ、大した植物もあったもんね、こっちは払うモン払ってもらえれば文句はないけど。」
思わず目を開いて、肩を竦めると、向こうも肩を竦めて返す。
「さぁね。僕だって何の花が咲くのか知らないけど。でもきっと君は気に入るよ。」
確信めいて光る蒼の瞳に、揶揄したくなる。
「何の花が咲くのか分からないのに、アタシが気に入るってどうして分かる?」
カウンターに頬杖を付いて、片眉をゆったりと持ち上げ、やや意地悪く言うと、
「それは・・・そうだね。僕が類い稀なる直感に恵まれた、一人の男だからかな。」
いかにも友人らしい返答に、思わず顔を顰めて舌を出した。
「これは失敬。聞いたアタシがオバカだったわ。」
呆れて言うのに、
「これでなかなか、神に愛される身の上というのも厄介なものでね。」
なぞと、男はフフフ、と更に楽しげに言い募る。頭にウジが湧いているのか、はたまた天才なのか、それとも気の効いたジョークのつもりなのか、アタシは判断しかねて、思わず頬杖から顎がガックリと外れ、はーぁ、と長い溜め息をついた。
「それじゃ失礼するよ。」
彼はカウンターに、ちゃりん、と銀貨を置いて、解いたばかりのスカーフを、再び首の廻りにふぁさりと巻き付けて言い、踵を返す。アタシは、
「ああ、ちょいまち。」
作業台に戻って、さっき精錬したばかりの試薬を、アタシは手際良く小瓶に詰めて、カウンターに舞い戻り、男に思わせぶりに振ってみせた。
「なんだい?」
「アンタの愛人に。」
アタシがニヤリと笑うと、男はこれ以上ないくらいの顰めっ面を作ってみせ、
「実験台はごめんだね。」
と苦々しく吐き出す。
「まあそう言わず。人体実験は済んでるからさ。」
本当かな?とでも言いたげに、男は小瓶を私の手から取り上げ、指先で摘んで、胡散臭そうに中身を見透かす。透明な小瓶の中で、その動きに合わせて、緑色の液体が揺らぐ。
「効果は?」
端的な質問に、同じく端的に返す。
「内緒。」
吊り上がる眦に、美人が怒ると怖いねぇ、とアタシは両肩を大袈裟に竦め、
「ちょっと積極的になるくらいに抑えてあるって。あんな天使みたいなナリじゃ、そんなモンでもないとね。」
終わり際、ウィンクしてみせる。
「人体実験は済んでるって?」
「ええ、そりゃ勿論!丁度今朝、使用者から『先日は大変結構なお品を頂戴し、有り難うございました。』って礼状をもらったとこ!」
私の口真似に、建築家は、『ああ、あの人か』と、得心が言ったようで、
「なるほど。それじゃもらうだけもらってみようかな。」
と無表情に言って、細く繊細そうな指先で小瓶を摘みなおし、ポケットに仕舞った。
「とはいえ、まだ開発中だから、フィードバックだけはお願いね〜。」
背中を向けて去ろうとする男に、アタシはヒラヒラと手を振ってやりつつ言う。
「全く、ちゃっかりしてるよ。この街の魔術師殿は。あまり商売がアコギに過ぎて、怒鳴り込まれるようなことに、ならなきゃいいけどね。」
こちらを振り返らぬまま、男は呆れたように溜め息して、持ち前の皮肉を披露し、チャイムを鳴らして店を出て行った。

ささやかな接客を終え、頼まれていた品を一通り作り終わって、巡回に来た配達屋に回収させる。首を回しながら、後は在庫確認して、補充でもするかな、と思った頃には、既に窓の外は夕闇に包まれていた。扉も窓も開いていないのに、まだまだ元気な街のお子様達の声が、それでも昼間よりは控えめに漏れ聞こえてくる。

 おぉ、可哀想なビル!可哀想なビル!
 違うよ俺はウィリアムじゃない!
 おぉ、可哀想なビル!可哀想なビル!
 違うよ俺はウィリアムじゃない!

昼とは違って、囃し立てるように歌われる歌は、随分昔のものだ。それこそ、アタシが幼かった頃の。この街に出てくる前の思い出が、ほんのり胸に沸き上ってくるような気がして、アタシはそれを頭を振って追いやる。分かってる。過去は追いやられたりしない。アタシの中に在るから。でも、束の間忘れるくらいは出来るから。だから・・・。

――――おぉ、可哀想なビル。お前はまだ天国にも地獄にも行けず、街を彷徨っているのかい?

からん、からん。
「ゼフェル!遅かったじゃないのさ!!」
変な追憶から逃れるきっかけを得て、フ、と思わず安堵の息を吐き、カウンターの向こう、入り口を振り返る。
案の定、ゼフェルだった。らしくもなく、頭を伏せているから、表情は見えない・・・見えなくても、確かに出て行った時の格好のまま。間違いようもない、見慣れたゼフェル。・・・けれど何故か。入り口からゼフェルと共に忍び寄って来た冷気に、アタシははっきりと悪寒を覚える。
「・・・ゼフェ、ル?」
ほんの少し、頭が上がって、ニヤリとゼフェルの口の端が上がるのが、銀色の前髪越しに、チラリと見える。

――――違う。

「違うぜ?俺は・・・・。」
ゼフェルの聞き慣れたハスキーボイスが、歌うように言う。十分な間を数えてから、酔っている時のように、フラリとした、どこか木偶人形を思わせる動きで、顔を上げた。
緋色の両の瞳が、狂気に昏く光ってから、
「俺は、・・・ウィリアムじゃない。」
屈託なく笑った。

----

【Marcel & Sei-Lan】

すっかり闇に包まれた街は、わずかな松明の灯火が、店頭をポツポツと照らし、部屋の窓から漏れ出る明かりが、石畳の蛇行して続く道を照らしていなければ、歩くのも難しい程。けれど、教会が認めていないのにも関わらず人々に浸透しているハロウィンの効果か、まだ外に子供や女性も出歩いていて、どこか浮かれた、明るい雰囲気。家々の戸口には不気味なジャックオーランタン。
僕はスカーフに顔を埋め、どこか街の浮かれ気分に影響されている自分を可笑しく思いながら、目を細めてそれらを目で追う。
僕の店は本来なら満点の星空を望める山小屋のようにでもしたかったのだが、流石にそういう訳にも行かず、けれども、「如何にも建築家の家!」といった奇抜さもない。おそらく、道を通る人が、「おや?」とちょっと思って、人によっては足を止めるかもしれない、という程度のデザインの、白い漆喰造りのものだ。特徴は、扉の凝った植物文様の飾り彫りで、これは僕の手によるもの、雨風に晒されて、風合いが滲み出つつある今日のソレを愛でながら、サインがクローズになっている事を確認してから、扉を開く。
ちりりん、と僕を追いかける、魔術師の店よりも控えめに過ぎるチャイムの音。五月蝿いのは御免だ。けれどもその僅かな音で家人は十分素早く反応して見せた。
「おかえりなさーい!」
二階からから軽やかな足音が降りてくる。僕は知らず苦笑しながら、スカーフを外す。もう店は彼に頼んで締めてあるから、お客は来ない。振り返って、扉を施錠し、コートを脱ぎながらカウンターを回り込み、アレコレと僕が不在の間の出来事を軽やかな声音で歌うように話す少年の後をついて廊下を進む。
居住区になっているのは、二階で、キッチンと僕のアトリエ、そして寝室がある。換気のために開け放たれたキッチンの窓から、冷たい風が吹き込んでいて、レースのカーテンを揺らしていた。
「少し寒いですね。」
僕は彼に対していつも敬語だ。
「そうかな?掃除とかしてたからあんまり感じなかった。」
彼は敬語だったり、そうでなかったり。
答える彼の纏まり切らなかった細い金髪が、まるでおとぎ話のように、薄暗い部屋の僅かな光を集めとって風と戯れる。僕は眩しくもないのに、目を細めてしまう。
彼と共に過ごしていると、切り取りたい一瞬が多すぎて、とても僕の『ながら』芸術稼業では追いつかない。僕は、溜め息して、
「まだまだ、子供の体温、ということでしょうか?」
等と態と呆れてみせる。ぷぅ、と頬を膨らませ、
「健康的と言って下さいよ。」
と、後ろ手に組んで、向こうを向いてしまった。せっかくの絵画が台無しだ、けれども、こういうのも悪くはない・・・思ってから、僕も相当に参っているのかしら、とどこか他人事のように思う。
彼は僕の父が絵画師として勤めていた家のご子息で、本来ならば、こんな一介の建築家の家に転がり込んで良いような身分ではない。けれども、彼のお父上の方針で、『自由に、自然に』をモットーに育て上げられ、庶民とも交流を重ねて来たせいか、本人は至って気さくで、貴族特有の鼻につく物言いや、考え方は全く彼から感じられない。どちらかというと、庶民に感覚が近い。しばしば父の助手として、彼の家にも出入りしていた僕は、周りに比べれば年も近いということで、必然的に話をする機会が多かった。寄宿舎にそのまま上がるより、学校にも程近い僕の家に住みたいと言い出した彼に、彼のお父上は「それは面白い」と二つ返事で。僕は彼のお父上のおおらかさをよく存じ上げているとは言え、その英断に盛大に呆れた。全く、この親子と来たら、僕の気も知らずに、と。
僕は、彼を『愛人』等と友人達の前で揶揄して呼ぶが、実際は違う。僕は彼のお父上から厚い信任を受けた彼の疑似保護者で、本当のところ、友人と呼ぶのも難しいと僕は思っていた。
「・・・さん!・・・セイランさんってば!」
「・・・聞いていますよ。」
「本当かなぁ?ご飯、どうします?」
「備蓄の野菜でスープを作って、昨日焼いたバケットをスライスして食べましょう。サラダも要りますか?」
「うん!」
屈託のない笑顔は、文字通り天使のようだ。ここに名作と名高い宗教画を並べて、それで果たして僕は確かに名作の方を甲と選べるだろうか、甚だ怪しい。いつもの苦笑に混ぜて、「元気のいいことです。」等と冷やかしながら、彼に、彼手製の小さな菜園からの菜採をお願いする。
「行ってくるね!」
と、彼が早速階段を下りると、部屋はまるで明かりを失ったよう。ヒヤリと冷たい風が再び抜けて、遠くから控えめな子供達の声。

 歓待せよ、さもなくば!
 今日はハロウィン
 これぞハロウィン
 歓待せよ、さもなくば!

それらを叱る母親の声。
そして再び懲りずに囃し立てる子供の声。

 ・・・よ、俺は・・・じゃない!
 おぉ、可哀想な・・・!!・・・・!!

誘われるように窓の外を覗くと、いつの間にか霧が出ている。

――――噂のジャックが出なければいいけど。

僕は縁起でもない事を過らせながら、入り込む冷気を閉め出すように、僕は手を伸ばし、しっかりと窓を閉めて、ささやかな夕食の準備に取りかかった。

「うーん、本当に。セイランさんの作るスープは美味しい!」
「いつも同じ物で恐縮です。」
「毎日これで、僕は全然大丈夫。だって本当に美味しいもの!」
ささやかに過ぎる食卓に、けれども彼の笑顔はその賛辞を嘘ではないと確かに僕に訴えてきて、僕はどう切り返したものか、らしくもなく言葉に詰まってしまう。
「おかわりしますか?」
成長期に相応しい食欲に頼って、ごまかすように僕が聞けば、
「うん!」
とまた屈託の無い笑顔。彼が使うには、これも質素に過ぎる木製のスープボウルを預かって、キッチンに戻って鍋から適量を注ぎ、テーブルに戻ると、彼が手を伸ばして、それを受け取る。僕の手指より、暖かい彼のそれが、僕の指先に触れ、僕はまるで熱い物に触れた時のように驚いて、手を引こうとして・・・

カチャンッッ!

スープボウルはテーブルに落下し、クロスの上に中身がひっくり返って、空っぽのスープボウルは床に転がり落ちる。
「うわー!ごめんなさい。驚かせた?!」
言いながら、彼がキッチンから布巾を取って来て、
「火傷していません?」
等と言いながら、片付けを手伝ってくれる。クロスは食事が済んでから交換だな、等と僕は過らせながら、自分の失態に脳裏で呆れる。
「いえ。手にはそれほどかかっていませんから。」
と、転がり落ちたボウルを拾うべく、床にしゃがんだ。その拍子に、スラックスのポケットに入れた例の小瓶が、床に転がり落ちてしまった。コロコロと床を転がる小さな小瓶は、運の悪い事に、彼の足元で動きを止める。
僕は一瞬の動揺に額を片手で覆ってしまってから、何喰わぬ素振りを取り戻し、スープボウルを拾い上げ、キッチンで新しいものに取り替えようと、手に取った。
テーブルを振り返ろうとして、意外に近くまで歩み寄っていた彼を視界に収める。片手に布巾、片手に小瓶を持って、何やら小瓶の中身を光に透かすようにして、伺い見ていた。見るからに怪しい、その緑を。
「なぁに、これ?」
態とかどうか。ちょっと舌っ足らずな甘い言い方で、彼は小首を傾げてみせる。手の届く距離。奪ってしまおうか。・・・力づくで?・・・まさか!
「なんでもありません。友人の作った怪しいクスリです。貴方へのお土産は、ちゃんと一階に置いてありますよ。例の水です。」
僕が片手にスープボウルの間抜けな格好のままに、肩を竦めると、
「ふぅん。」
と、彼は納得したのかしていないのか、判断に困る感じに、ゆっくりと鼻を鳴らした。
「・・・もういいでしょう。返して下さい。」
僕が空いた手を出すと、彼は、
「いいよ。本当は、何の薬か、教えてくれたら。」
屈託なくまた笑った。その無邪気な笑みに、何故だろう、僕は奇妙な凄みを感じて、知らず、喉を鳴らした。僕は神を信じない。けれど、もし、神が居たなら、こんな姿をしているのかも知れない。僕は拉致のあかない自らの感想に嘆息する。
頭を振って、未だ空のスープボウルをキッチンに戻し、小さく両手を上げた。
「降参です。それはつまり、良からぬ薬ですよ。大人が使う、ね。貴方には最も縁遠いものです。」
僕は言いながら、下らぬものを押し付けた友人を『あの魔術師め』と、逆恨みした。本当の事をお教えしたのだから、返して下さい、という意味で手を差し出すが、彼の華奢な手は、その小瓶を握り込むようにして、僕の視界からソレを隠してしまう。
全く、あの魔術師め。
はっきりと僕は内心で八つ当たりして、身体を抱いて盛大に溜め息を吐く。
「セイランさんは、時々、僕の事を、誤解してるよね。」
ほとんど両目を伏せてしまっていたので、不穏な台詞に少々驚き、彼に視線を戻す。彼は、ちょっとだけ残念そうな顔で、僕から視線を逸らして、溜め息を吐き、続けた。
「僕は、セイランさんが思うより、ずっと自分の事が分かってると思うよ。」
「・・・何の話です?」
哀しげな顔に耐えきれず、僕は眉を寄せ、追うように問うてしまう。
「僕だって、男だよ。」
呆れるような、小さな・・・泣きそうな声。
僕はほとほと困り果てていた。『縁遠い』が気に障ったのだろうか。確かに僕が14の頃合いに、年上の男にそんな言い方をされたら、きっと腹が立っただろう。本音のところ、彼は子供だとか大人だとか思ったことはない。ただ、本音を告げられずに卑怯にごまかし続けているだけ。
「えぇと。泣かないで下さいよ。済みません。そんなつもりじゃ・・・。」
そんな言い方をするつもりじゃなかったのに、僕はつい、いつもの呆れた調子で、先回りするような小賢しい言い方をしてしまう。違う。彼を責めたい訳じゃない。訳じゃないけれど。
泣きそうな声音の主に一層近寄って、彼がもっと幼かった頃にしていたように、前髪を掻き上げてやろうと左手を伸ばして。その手が、思いがけず、彼の右手に強い握力で握り込まれて、ぐい、と引き寄せられる。バランスを崩して、彼に思わず密着してしまい、『全く、この親子は人の気も知らずに』。僕は、慣れた感想を胸に過らせつつ、頬が紅潮するのを感じながら、彼の身体を押しやろうとした。・・・のに。
彼は、顔を上げ、左手の拳を口元にやった。

――――・・・まさか!!

自分で飲む気じゃないだろうな!と、突如思い至って、血の気が下がる。今度はこっちから彼の身体を引き寄せ、彼の左手にあったはずの小瓶を取り上げようと、拳に手をかける。彼は、案の定、空になった小瓶を床に放り投げ、口をつぐんだまま、嫌々をするように、頭を激しく振った。
「頼むからっ、飲まないでっ!!」
ほとんど懇願の悲鳴を上げながら、僕が彼の顔を両手で包むと、彼は眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと目を伏せる。そして僕の胸元に細く華奢な、少年らしい腕をゆっくりと伸ばした。
突然、僕のベストを胸ぐらを掴む要領で掴むと、グイ、と下に無理矢理引き下げる。僕は再びバランスを崩し、自然と膝を折った不自然な中腰で彼を見上げる姿勢になってしまう。
「うわっ!」
我ながら情けない声を上げていると、無様に開いた口を、彼の唇が乱暴に塞いだ。
・・・え?
「ん・・・ぐっ・・・。」
苦い味が口に広がり、不利な体勢で、嚥下した訳でもないのに、ジワジワと喉や鼻に液体が滑り落ちるような不快な感覚に襲われる。かと言って、突き飛ばす事もできず、僕は只管、彼が僕から離れてくれる時を、目を瞑って待った。
苦い液体が、口の中に入って来た物は、全て僕の身体の中のどこかに入り込み、うまく唇からこぼれ落ちた分は、全て顎から首へと流れていった頃合いに、彼はやっと僕を捕まえていた、胸ぐらから力を抜く。
僕は、よろめきながらも、後ろに距離をとりながら、指先で口元や首にまとわりつく液体を拭う。
「オイタが、過ぎるんじゃ、ありませんか。」
僕は冷静を装おって、髪を掻き上げた。多分、彼を睨む瞳は、相当険を帯びたものとなってしまっているだろう。僕は、怒っていた。そりゃあ、元を正せば、貰っておくだけなら、と魔術師から変なものを貰ってきた僕が悪い。でも、僕に対する仕打ちはどうあれ、彼はほとんどそれがどんな影響を齎すものか分からぬまま、自分で口に含んだ。僕には、それが許しがたかった。
もしかしたら、僕のささやかな日頃の妄想を、こんな形で『ただ、異物を飲み込ませる手段として』裏切られた事に僕は傷ついているのかも知れないが、あまり考えたくはない。
「ごめん。・・・ごめんなさい。」
僕が本気で怒っているときは、いつもそうするように、彼は瞳が合うなり、彼は菫色の大きな瞳をじわ、と潤ませて伏せ、両手を拳にし、身体の両脇に下げる。
・・・ずるい。何故、こんなときまで、この人は綺麗なんだろう。
そんな感想を追いかけるように、グ、と下腹から突き上げるような唐突な欲望。慣れているはずのそれが、受け流せないような熱さになっていることに気づいて、僕は狼狽える。まさか、薬の・・・。・・・そんな、いくらなんでも、早過ぎる。

・・・・ドクンッ・・・・

いっそ凶暴な音で心臓が一度鳴り、視界がぶれて、彼の美しい顔が歪む。歪んでぶれた像の先から、彼の声がする。
「どうしたの・・・?セイランさん?」
熱い。自分のベストの胸元を掴み、僕はそれを握りしめて、沸き上る衝動をやり過ごそうとする。なのに。
「セイランさん?」
心配そうな、泣きそうな彼の細い声。

ドタ、と無様な音は、僕が倒れた音か。まだ立っている感覚が確かにあるのに、何故か視界は天井を見上げている。
今度こそ、僕は内心でなく、上がる息をなんとか抑えながら、声に出して呪ってやった。
「はっ・・・ふ、・・・!あの、魔術師、めっ・・・!」

----

【Lumiale & Oscar】

 歓待せよ、さもなくば!
 今日はハロウィン
 これぞハロウィン
 歓待せよ、さもなくば!
 歓待せよ、さもなくば!

ご機嫌で鼻歌を歌いながら、男はグレーのベストに白いウィングシャツ姿で、明らかに晩餐から帰って来たところ、といった体だ。ベストと共布のボウタイを緩めつつ、部屋に入って来た。
あれから、何時間経ったのだろう。いや、もしかしたら2日くらいは経っているのかも知れない・・・?

街の外れにある、演奏家の自宅。それしか分からない。
始まりは、久々のオフだと思って繰り出した酒場。バーで出会って飲むのは女性ばかりだが、何故かその日は、気の合う男達数人と出会って、珍しくそのまま何人かで飲んでいた。それで、いつの間にか。何軒目かの店では、この男と二人で話し込んでいた。しかしオカシイ。なんの話をしていたのだかは思い出せない。ただ、その深い青色の瞳が、伏せられたり、見開かれたりするのを、酒の肴に面白く眺めていたような記憶はあった。その時は、愉快で、やたらめっぽう綺麗な・・・男にしとくには勿体ない美人。そんな印象しかなかったのだ。
なのに、気づいたら、俺はここに居た。それも。はっきりと、監禁されている。ベッドの上に素っ裸で、右足に猛獣用かと思う程の、大袈裟で厳重な鉄輪が嵌められていた。そして、そこから重たい鎖が続き、その先は床に固定されている。鎖の長さは、部屋に付けられたトイレに行くのが限界の長さで、どう頑張っても扉には届かない。
久々にもらったオフはたった一日。無断欠勤が続けば、そろそろ俺の近衛としての籍も抹消されているかもしれない。
俺はベッドに腰掛け、全ての衣類を取り上げられた状態で、シーツで下半身をやる気無く隠す。部屋に入って来た男と視線を合わせてから、口を開く。

「いい加減、帰してくれないか。もう気が済んだだろ?」

あの手この手で俺はここを脱走しようと試みた。今のところ、全てそれらは失敗に終わっている。相手に屈するのは主義に反する。だから、これはほんの少し、相手に寄り添う素振りというやつだ。寄り添う気持ちは生憎微塵もないので、おそらく、俺は無表情で、瞳は剣呑なのだろうが。
俺の言葉に、木製の扉を閉め、しっかりと施錠してから、男は振り返って、ふふふ、と柔らかく笑んだ。
「嬉しいものですね。」
首を斜めに傾げ、しゃらりと水色がかった白銀の髪が揺れる。確かに好青年を思わせるその笑みは、その実、狂気に囚われているのだと、既に俺は知っている。
「嬉しいものです。そうして話しかけて下さるのは。でも、気が済んでいるはずがない。貴方も、よくご存知でしょう?」
扉に背中を預け、解いたボウタイを首から下げたグレーのベスト、黒のスラックス姿はすらりとした長身で、逞しいとは言わないが、男らしいものだ。両手をポケットに突っ込んでいる今はなおさら。なのに、こちらを見ているのか見ていないのか、伏し目がちにされた切れ長の瞳、そして、白磁のような肌、長い睫毛は、男とも女ともつかず、それがヤツの印象を、一層危ういものに見せていた。
「オスカー。昨夜は、楽しかったですね。」
男は言いながら、ポケットから小瓶を取り出して見せた。細く繊細そうな人差し指と親指に摘まれた、緑の液体の入った小瓶は、昨夜の見たものと全く同じに見えた。俺は、ぞっと悪寒を背中に登らせる。
男色は、さして珍しいものでもない。俺だって身に覚えはあった。ただ、男性より女性の方が好きで、ハマり込まなかったというだけだ。だが、この男のこれは、明らかに狂気的だ。そもそも、何故。
「何故、俺なんだ。」
狂人に理由等あるはずがない。分かっていて、俺は警戒するように男から視線を逸らさず、問うた。男はアッハハ、と声を上げ、鼻頭に皺を寄せていっそ無邪気に笑った。
「貴方には、分からないのでしょうね。」
狂人らしい、要領を得ぬ答え。俺は髪を掻きあげ、目を逸らした。吸い込まれるような蒼い瞳は、美しいとさえ、出会った時には思ったのに、今はただ、俺を狂気の世界に引きずり込もうとする、恐ろしいものと化していた。
「分からない・・・で、しょうね。」
不意に、落ち込んだような頼りない声音を聞いて、俺は視線を男に戻す。男は、前方の床に視線を落とし、仕方なさそうに笑んでいた。つい先程までの、奇妙な凄みと対照的に、突然心細そうなその様子に、俺は内心僅かに戸惑う。狂人の戯れ言だ・・・自分に言い聞かせる。同情している暇も余裕も俺にあるはずがない。
「本当に、このまま。」
ぼそりと続く言葉の先を待つ。
「貴方が、近衛兵でなければ・・・。こんな方法を取ることもなかったのかもしれませんが。・・・けれど、私が貴方を知った時、既に貴方は陛下の所有物だった。ですから、仕方在りません。」
ぼそぼそと、頼りなく続いていた声は、やがて、冷徹ささえ感じさせる寒々とした声になり。いつの間にか、頼り無さげな笑みは、凍るような無表情に取って代わっていた。
「まるで以前から俺を知っていたような言いぶりだな。」
「ええ。」
俺の語尾に被せるような即答に、ぞっと再び悪寒。
「覚えて、いないのでしょうね。私はこれでも、貴族のはしくれなのですよ。今のところ。祖父が、金で買った爵位ですけれどね。・・・けれど、爵位があって良かったと思ったのも、気の進まぬ社交の場に出て良かったと思ったのも、後にも先にもあの一度きり。私は爵位を捨て、もうこのまま演奏家としてただ生きていくつもりですが。貴方のことは諦めきれずに居た・・・。貴方が悪いのですよ。あんな風に無防備に、私の前に、突然現れるとは。」
滔々と続く思い出話の口ぶり。俺には全く覚えがない。
「社交場の警備にあたる貴方には、一分の隙もなかった。けれど、酒場で突然出会った貴方は隙だらけ。気づかなかったでしょう?私はあの店で時折演奏しているのですよ。あの店で貴方と会うのは、既に三度目。」
終わり際に、視線が上がって、俺のそれと絡む。やがてヤツの能面に上る、物騒な、屈託ない笑顔。
俺はそれを極力気にしないように、瞼を綴じて視界から追い出す。脳裏で情報を繋ぎ合わせれば、俺はこの男の罠に落ちたということが分かる。そして、あの店で飲み、クソッタレな薬でいいようにされた、アレが『昨夜』だとしたら。そう、今日は。
いつの間にか、足音をさせずに近寄って来た男の気配を感じ、俺は知らず身体を強ばらせる。目を開いて見上げた先に、俺を見下ろす優しい微笑み。
するりと伸びた白い片手が、俺の頬を包む。
−−−そう、今日は。
「今日はハロウィン。歓待せよ、さもなくば。」
奈落の底の青が呪文を呟いて、堕ちてきた。

----

【Jack & William】

「よぉ。」
「やぁジャック。ごきげんいかが?」
「相変わらずの『クソッタレ』さ。おまけに今日は一年で一番忙しいときてる。」
「お疲れさま。まだまだ交通整理には時間がかかりそうだね。」
「まぁな。『門』が開いてるお陰で、天国の住人だろうが地獄の住人だろうがおかまいなし、ひっきりなしだ。」
「『天国』ね。僕にも一本くれるかい?」
「いいとも、親愛なる可哀想なウィリー。」
「ふ、ふふ。今日は随分君の偽物で賑わってるよ。」
「『違うよ俺はウィリアムじゃない』ってやつか?それともカブラの不細工なオモチャの方か?」
「両方。それに死者達も君を名乗ってるみたいだ。人気者だね、君は。」
「俺はあんなに不細工じゃねーよ。」
「ハ、ハハ!!最高だな。」
「・・・おっと、また騒ぎだ。あれは魔術師の店か?感受性の高い人間は死者共に影響されやすくて困るな。」
「いってらっしゃい、ジャック。」
「ああ、お前も少しは手伝えよ。彷徨える可哀想なウィリー。」
「嫌だよ。僕は君と違って神様なんて信じてないんだ。せいぜいのんびりするさ。」
「はっ!地獄へ堕ちろ。異教徒め。」
「それは勿論!堕ちられるものなら!・・・ねぇ。」
「なんだ。」
「・・・いいや、なんでもない。」
「なんだそりゃ。俺はこれでも忙しいんだ。じゃあな。」

ねぇ、本当に可哀想なのは、君の方だと思わないか?
『神様』に見捨てられて、それでもまだ信じてる。いつかは『天国』にいけるだなんて。
だけど、神様は居ないし、『門』の先に天国なんかありはしない。
もしあるなら、なんでまだ、君みたいないい人が、ここでこうして彷徨っているの?

「『歓待せよ、さもなくば。』・・・さもなくば、お前をめちゃくちゃにしてやるよ、ジャック。この、ウィリアムが。」

----

【Zephel & Olivie】

 おぉ、可哀想なビル!可哀想なビル!
 違うよ俺はウィリアムじゃない!
 おぉ、可哀想なビル!可哀想なビル!
 違うよ俺はウィリアムじゃない!
 俺はジャック!!
 切り裂きじゃないぜ、しがない嘘つきの方さ!

狂気に光った紅い瞳が屈託なく笑むのと、アタシがゴクリと唾を飲むのは、同時。

ダンッ

と、驚異的な脚力で、ゼフェルは跳躍して、カウンターの上にヒラリと舞い上がる。
アタシは後ろ手に、反射的に得物を探す。ガチャガチャと作業台から滑り落ちる様々な治具類がけたたましい音を立てる。
ゼフェルはくたりと首を傾げ、気持ち良さそうに謳った。
「違うぜ、俺はウィリアムじゃない!俺はジャック!この身体!この空気!!サイッコーの気分だ!!」
冗談じゃない!アタシは指先に当たったハンマーを握りしめ、スナップを利かせて思いっきりゼフェルの鳩尾に向かって投げつける。
「おっと!」
ゼフェルは踊るように狭いカウンターの上でステップを踏み、パシッ、とハンマーを左手で掴みとる。
チチチ、とゼフェルは右手の人差し指を立てて、思わせぶりに振ってみせ、左手で器用にハンマーをバトンの要領で振り回してみせる。ハンマーの取り回しはいつものゼフェル。だけど、右手の気障な仕草は見覚えが無い。何より、そのうっとりと狂気的な笑顔。
アタシは、仕方なく、腿にいつも護身用に付けてるナイフを取り出して構える。ただし、鞘を付けたまま。大型の凶器はこの狭い店の中じゃ返って不利だ。
「アタシの優秀な助手はゼフェルって言ってね。ジャックさんとやら。アンタに用はないよ!」
にぃ、とゼフェルの口角が不気味に上がる。
「生憎、俺の方には用がある。血に飢えてるんだ。ハァッハハッ!!」
ダンッッ!!
笑いながら男はカウンターを蹴って、アタシに向かって再び跳躍してくる。上から重力を使って振り下ろされるハンマー。ナイフでそれを受け止めて、ゼフェルの瞳を間近に睨む。
「正気に戻りなっっ!!」
ハンマーを押し返して、もう一度、ナイフを首を狙って振り下ろす。鞘を外さなければ、アタシのナイフはタダの鈍器。運が良ければ気を失わせることに成功するはず!
「ハッハー!!」
凶器的な叫び声を交え、弾かれたハンマーの反動を使って、ゼフェルは膝を深く折り、素早く身体を回転させる。アタシの鳩尾めがけてハンマーが襲う。首を狙った大振りは今更軌道を変えようもない。
「チィッ!」
アタシは似合いもしない自分の失態への声を漏らしながら、素早くステップを進め、そのままゼフェルの身体の向こうへとステップを踏んで、回り込む。互いの攻撃が空振りに終わって、アタシはカウンターを背後に、ゼフェルは窓を背後に再び睨み合う。左手は材料の瓶詰めが並んだ天井まで続く高い棚。右手はビーカーやフラスコが並ぶ荒れた作業台。狭い通路で、ゼフェルの凶器はハンマー、こちらの方が少々取り回しが楽なはず。目を細めて、互いに、タイミングを計る。
不意に、ゼフェルの形をした者が舌なめずりをして、宣う。
「ああ、血が見たい。」
「生憎こちとら、オカルトは専門外!別の店に行ってくれないかい!」
ダンッッ
今度はこちらから仕掛けようと一気に間合いを詰める。ゼフェルのハンマーが右、左、と身体を小さく振りながら、振り回されて、ビーカー類が巻き添えを食い、ガシャン、ガチャーン、と破壊される。攻撃をくぐり抜けるように、身体を上下させて、懐に飛び込み、ゼフェルの鳩尾を突進の勢いで膝蹴りする。
ドタン、と後ろに倒れるゼフェルの上に乗り上げて、アタシはナイフを振り上げる。
今度こそ!!
が、素早く胸ぐらを掴んで引き寄せられ、バランスを崩す。ドン、とゼフェルの上に倒れ込み、あろうことか、ナイフが手から衝撃で離れてしまう。
瞬間、首筋を猛烈な熱が襲った。遅れて、激しい痛み・・・それから、快楽・・・?
「・・・・グッ・・・ゥッッ!!!」
力が抜けていく。首筋から、ジワ、と強烈な恍惚が這い上って、脳が痺れるような感覚に襲われる。ゼフェルがアタシの首元で、ズッ、ズズッと啜るような音を立てる。
・・・吸、血・・・?
「・・・あ、あ、ぁ・・・。」
ぼう、と霞み始める視界に、『や、ばい・・・。』と、焦燥感に包まれる。なのに、一向に身体に力が入らない。ゼフェル、ゼフェル・・・だけ、でも・・・。・・・誰かッ!!

ガッチャーーーーン!!

大窓の割れる音がして、黒い影がアタシの霞む視界に落ちる。
「おい。大丈夫か。」
ひょい、とアタシの身体をひっくり返し、ガラスの散らばる床に雑に横たえる、何者か。顔は影になって見えない。ただ、黒いマントを着た何者かということだけが分かる。
「ゼ・・・フェ・・・ル・・・。」
その何者かは、アタシの隣のゼフェルの上に屈み込む。必死に顔をゼフェルの方に向ける。ゼフェルの額に翳される手が、ぼうっと光って。
「去ね。」
と、短く何者かが言った。
「ガァ・・・・・ァ・・・・。」
ゼフェルの身体が痙攣して、スゥ、と黒い霧が空気に解ける。それから、黒い男は立ち上がって、アタシを見下ろす。今度は顔に部屋の照明が当たるが、イカした豪奢なマスクを付けているせいで、結局顔は分からない。マスクの男は今度はアタシの上に屈み込み、首元に手を翳した。さっきの強烈な熱とは違う、暖かな感覚。強制的な恍惚とは逆の、穏やかな心地よさに、眠気が襲ってくる。
「アンタ・・・だ、れ・・・?」
「・・・俺か?俺はジャック。・・・しがない嘘つきさ。」
抗いがたい眠気に襲われながら、幼い頃に聞いた、おとぎ話を思い出して苦笑する。
「おやすみ・・・ジャック。アンタ、に・・・幸運を。」
呟くようなアタシの掠れ声は、マスクの男に届いたかどうか。アタシは返事を聞く前に、

カラン・・・

と何かが床で鳴る音を聞き、眠りに落ちた。

----

【Marcel & Sei-Lan】

「ねぇ、落ち着いた?」
相変わらずの申し訳なさそうな声音。何杯か、水を飲ませられ、寝室に引きずるように運ばれ、暫く休ませてもらった頃合いに、伺うように聞かれる。
全然、全く平気なんかではないし、落ち着いてもいない。本当は。
「もう、大丈夫です。」
「本当?」
重ねるように問われて、僕は眉を寄せる。ベッドサイドに椅子を持って来て、僕の側にずっと侍る彼が、まるで僕の忍耐力を試しているみたいに思えてくる。
「僕はさ。」
いかにも声変わりの最中、というような彼の声と共に、細く少年らしい指が、僕の前髪を撫で上げる。
「僕は・・・。セイランさんを、好きになっては、いけないの?」
続いた言葉に、ビク、と身体が強ばるのを、止められなかった。
「なんで?」
否定の言葉を言った訳でもないのに、彼の声は固くなり、彼の右手が僕の前髪から頭の上に移動して、至近距離で菫色が僕を見下ろす。ギシ、とベッドがきしむ。
どうしようか。どうしてしまおうか。僕は良くない妄想に取り憑かれている。よく自覚している。だから、僕は冷静なのだと思う。おそらく。
「今日はハロウィン。悪霊祭です。明日になれば、目が覚めますよ。」
僕は皮肉を言って笑い、目を伏せた。ほら、いつも通りじゃないか。
「じゃあ、このまま夜が明けるまで待って、続きを話しましょうか。僕は、それでも構わない。」
きっぱりと続く声は、まるでいつもの彼ではないようで、僕はこれは悪霊が見せる悪い夢かもしれない、と思った。
「僕は、構わない。もう、随分待ったから。」
続く言葉に、少し怒ったような気配を感じて、僕は目を開ける。
「僕が、天使みたいに、綺麗だって。セイランさんは、よく言ってくれるでしょう?」
落ち着いた声は、いつの間にか、彼が大人になってしまったようで、僕はクスリの効果かもしれないけれど、急に悲しくなる。
「ええ。」
「でも、僕にとって、セイランさんは、聖人みたいに綺麗なんだよ。だから・・・。」
その先を言葉にするかどうか、逡巡するような間があった。
「だから。完璧なセイランさんを、僕は時々、遠く感じる。触っては、いけないんじゃないかって・・・。」
溜め息が小さく、少年とも少女とも付かない唇から漏れた。
「だけど、僕を天使っていう、セイランさんも、それは一緒なんじゃないかって思う。それに、僕は知ってるんだ。本当は触れるってこと。・・・こうして。」
彼の左手と右手が、僕の頬を包み、困ったように眉を寄せて、一度、ためらうように動きを止める。やがてじわりと白い頬が紅潮して、
「大人ってズルいなぁ。」
と、言ってから。僕の唇に柔らかい感触が落ちて来た。
啄むような、震えるような、微かなキス。
こんなに、キスに、敬虔な気持ちを感じた事があっただろうか。
僕は祈るような気持ちでゆっくりと瞳を閉じた。
・・・ズルいのかもしれない。
僕も本当は知ってる。貴方に触れられるということ。
離れてしまいそうになる唇を追いかけて、僅かに首を起こし、羽布団から手を出して、彼の後頭部に優しく当てる。引き上げそうになった彼の顎が、僕の動きに戸惑うように留まって、それから、また僅かに僕の方に引き戻る。
僕は、『本当に、僕ってズルい大人なんだな』とやや自分に呆れながらも、我慢できずに、するりと彼の唇を舌先で割って、彼の舌を救い上げる。僅かに強ばる彼の身体。ギュ、と強く瞑られた瞼を、薄く目を開けて確認して、微笑ましく思いながら、それでも、彼の頭を解放してやる気になれず、ゆっくり、やんわり、絡げる舌の動きを止めない。
「ん・・・・ん・・・。」
苦しげな彼の声に、僕は僅かばかり、彼の唇を解放する。
「・・・ハッぁ・・・。ほんと、なんか・・・。ズルい。」
彼が舌ったらずに言うのに、僕は、下半身に溜まった熱を必死にごまかしながら、こつん、と彼の額と僕の額を合わせるようにして、
「・・・すみません。」
とだけ言った。普段は勝手に唇から零れ出る言葉の数々が、まるで今日は逃げて逃げて・・・。果たして僕は本当に神から愛されているのだろうか。いや、愛されているに違いない。何故なら。
「こんなに幸せでいいのかな。こんなに、ズルいのに。」
独り言のように漏らすと、ちゅ、と今度はまるで慣れたようなキスが僕の唇の先を掠める。僕は、ちょっとばかり、彼の成長ぶりに目を剥く。さっきのキスで、もうこんなに成長してしまったというのだろうか。あのぎこちない、神聖なキスは何処へ?
「ふふ。どうかな?今日は悪霊祭だから。」
ギシギシと悪戯を仕掛ける子供のように四つ這いで、ベッドに乗り上げてきた彼は、肩口のふんわりと膨らんだ、いかにも少年らしいデザインのシャツの影を僕に落として、首を傾げて僕を見下ろす。さらりと、カドカンで括られた、この上なく繊細な金髪が僕の頬に落ちる。
「歓待せよ、さもなくば。」
子供達の脅迫が、するりと彼の口から零れ出る。影になっているが、それでも分かる。近距離で輝く、彼の屈託ない、心からの笑顔。
天使だって・・・?そんな形容じゃ、生温い。この美しい生き物は・・・。多分。
僕は、強烈な予感に、背中を痺れさせた。

----

【Lumiale & Oscar】

「ハッ、ハッ、ハッ・・・。」
脳髄を直撃するような快楽。
―――こわ・・・いっ・・・!!
一瞬の自分らしからぬ恐怖心を、自分を抉るような快楽に身を任せてやり過ごす。
膝と足の指だけで体重を支え、拘束された両腕を後ろに強く引かれたアクロバティックな格好で、俺は背後から良い様に翻弄される。
穴の空いた猿ぐつわから、唾液が絶えず漏れ出て、白いシーツを、自分の身体を汚す。
男が俺の内部で果て、その余韻に身体を振るわせた後、唐突に解放されて、俺の上半身はボスッと、俯せに白いシーツに沈む。気道を確保する為に、首だけを捻って顔を横に向ける。それで、昏い青が、覆いかぶさるように、上から俺の顔を覗き込むのが霞む視界に入ってしまって・・・俺は目を瞑ってそれを視界から追い出す。片足に付けられていた足かせに、棒と革ベルトが付けられて、それでもう片足を固定されているので、両足を閉じる事すらできない。心臓が絶えず早鐘を打っているが、これはクスリのせいであって、この行為のせいじゃない・・・はずだ。
頭がグラグラと煮えるように熱い。熱い、熱い・・・。
男が達する直前に、自分もイッたばかりだというのに、もう身体が火照り始めている。
「ん・・・ぅ・・・。」
唯一自由になる体幹と首を使って、俺はシーツに身体を擦り付け、俺のかアイツのか判別の付かない体液を拭う。それだけで、ブル、と良からぬ感覚が俺を追い詰める。何がしたい。逃れたい。イキたい?・・・いや、違う、違う・・・。
後ろ手に固定されているせいで、肩が抜けそうに痛む。
「本当に、このまま・・・。」
何度か聞いたが、意味の分からぬ台詞が再び俺に落ちる。
「ねえ、このまま、ずっと・・・。」
つう、と指先が、俺の背筋の隆起を撫でていく。ぴく、ぴく、と反応するのを止められない。
「・・・さわ、んなっ・・・!」
瞳が潤むのは生理現象、どうしようもない。せいぜい力一杯背後の男を睨んでやる。男はじっ、と俺の瞳を見返す。無表情が過ぎて、そこからは、なんの感情も読み取れない。だが、熱に浮かされた視界でも、その深い色の瞳が怪しく揺らめいていることだけは分かる。
どれだけ睨み合ったか分からない。けれど、男は諦めるような溜め息をふぅ、と一度吐くと、ギシ、と素っ裸のままに、俺の隣に移動してきた。片膝を立て、長い髪を掻き上げるようにして、途中で手の動きが止まる。顔の表情が全く見えず、男にしては華奢な身体が小さくまとまると、どこか、何かを悲しんでいるようで。俺は自分の形容に内心で苛立ちを覚える。だから、俺は、この男を、哀れむような、余裕はない、と・・・。
「もう、そろそろ。夜が明けます。オスカー。」
そういえば、いつからこの男は俺の名を知っているのだろう。酒場で名乗り合っただろうか。いや、コイツはきっとずっと前から俺を知っていたのだろうから・・・。
「うぅっ・・・・!うー!」
抗議するように、頭を振るう。俺の声に顔を上げた男を睨みつけると、男はあっさりと細い指先で黒革の固定具をカチャリと器用に外し、猿ぐつわを俺から取り去る。ねば、と糸を引くのがみっともなかったが、気にしないように努めて、俺はもう一度、シーツに口元を擦り付けた。シーツもドロドロで、清潔とは言いがたかったが、できるだけ清潔そうな場所を選んで再び拭う。それから、口を開いた。
「おま・・・え、名・・・・は?」
喉が枯れて、うまく発音できないのを忌々しく思いながらも、なんとか聞く。男は、吃驚したように両目を見開いて俺をマジマジと見下ろす。身体の火照りも収まらぬのに、俺は苛立ちまで覚えて顔に血が上るのをはっきりと自覚する。
「・・・リュミエール、と言います。」
俺は、横向きに伸びたまま、リュミエールとやらの、相変わらず見開かれたままの、青い瞳を見上げる。こうしていれば、先程まで、俺を良い様に弄んでいた男は何処にも居らず、普通に好青年に見えるのが、この男の厄介なところなのだ。俺は溜め息した。
「リュミエール。夜が、明けたら、俺を、解放してくれるのか?」
諦め半分に渇いた口の中を潤し潤し、問う。
「・・・そうですね・・・。このまま、ずっと貴方を閉じ込めておきたいとも、思ったのですが。」
何か他人の事を語るような淡白な口調で、男は俺を見下ろしたまま無表情に告げ、それから、仕方なさそうに笑んだ。
「おそらく。今のこれも、悪霊祭が見せる、一夜の夢でしょう。」
ドクドクドクドク・・・・早鐘を打つ、心臓はまだ収まっていない。それどころか、何か切羽詰まったような熱も、行き場を失ったまま。だから、これは確かにクスリが見せる、一夜の夢なのだろう。
「殴ったり、しないから、腕を解け。肩が、外れそうだ。」
リュミエールは、別に殴られても構わない、とでも言うように、俺の言葉を吟味する間もなく、ガチャガチャと腕の戒めを解いた。解放されても腕は痺れて、すぐには思う通りに動かない。俺は背中で両腕を伸ばし、血が通うのを数秒待ってから、俺の身体の前に素っ裸で座り込む、白い男に手を伸ばした。
男は俺の腕の動きに吃驚した、というように、全身をビク、と震わせてから。
痺れてうまく動かない、俺の手に、自分の手を重ねた。ジン、とまだ残る痺れが、痛みとなって俺を襲う。だが。
「届かん。」
要求にもなっていない俺の不満の声に、リュミエールは、俺の横に向かい合うように寝そべって答える。
ボス、と乱暴に、俺の腕がヤツの頭に落ちた。リュミエールは、何故か目を瞑って、それを受け止めるような素振り。暫くして、おずおずと、リュミエールの白い手が、俺の無骨な手の上に重なった。
「目が覚めたら、元通りか。」
「ええ。目が覚めたら。」

−−−もし、そうなら。

俺は、目を瞑って、ヤツの後頭部に手を回し、ぐい、と些か乱暴にヤツの頭を引き寄せる。驚いたように、再び目を見張られて、えぇい、となんだか謂れのない気恥ずかしさを覚える。
噛み付くように、唇を重ねる。
・・・何故?
もう、どうでも良かった。どうせ、一夜の悪霊の気まぐれ。狂気の彷徨う夜に、俺も些かあてられている。
ただ・・・・・・それだけ。
互いの咥内を土足で踏み荒らすような荒っぽいキスは、けれど、俺の中に燻って、未だ解放しきらない、熱を吐き出すには効率がよさそうだ。
俺は訳の分からぬ納得の仕方で、今度は自ら進んで、快楽に自我を委ねた。

 今日はハロウィン
 これぞハロウィン

もうそろそろ、夜も白み始めているというのに、脳裏では、まだ子供達の声がしている。

----

【Zephel & Olivie】

「おい。・・・おいって!!」
ゲシ、と荒っぽい肘打ちを鳩尾に食らうという、大胆に過ぎる起こし方でアタシは目覚める。
「・・・ゼフェル。」
ジャリ、と嫌な音をさせながら、身体を起こす。パラパラと背中からガラス片が落下する音。見回せば、店は惨憺たる状態だ。棚や作業台からは、未だポタポタと薬品類が滴っている。
「どーゆーことだ、こりゃ。」
ゼフェルはアタシと同様に床に座り込んで、やる気なくあたりに視線をやっている。
「アンタのせい。だいたいは。」
「はぁ?!?!」
「覚えてないんでしょ、どーせ。はいはい。」
いじけてしまうのは、見逃してほしい。この騒動の損額を考えるのも嫌だ。
はーぁ、とため息を付きながら、気力を振り絞って立ち上がる。びゅぅ、と割られた飾り窓から吹き込む冷たい風。ブル、と思わず身震いして、恨めしい視線を大破している窓枠に投げる。『マスクのジャック』も、何もこの飾り窓を割ってくれなくても良かったんじゃないかね。全く・・・。
アタシは、命を失いかけたことも棚にあげて、内心で悪態を付く。
「片付けるよ、ゼフェル。」
「あ?・・・あぁ。」
アタシが両手を腰に当てて、ゼフェルに据わった視線を投げてやると、ゼフェルも事情を飲み込めないなりに、立ち上がってパンツを叩く。
それから、アタシの顔をマジマジと見上げてくる。
「・・・?・・・何だい?」
「・・・いや、おめーの、首んトコ、スッゲーでかい痣。」
「マジで!?!?」
美しいアタシの肌に、でかい痣だなんて、最悪中の最悪。だけどまあ、仕方がないだろう。あんな致命傷を、治療してもらえただけでも、有り難く思わねば。首を押えて、床に視線を落とし、『マスクのジャック』の落とし物を見つける。
それは、異国の道化師が付けるようなドハデなマスク。黒い羽飾り。顔を半分覆う黒と金の細かな彩色は、職人による丁寧な仕事の成果だと、一目で分かる。
アタシは、棚や作業台に素早く視線を走らせ、もう使ってしまう以外に仕方のない薬品類や、まだ使える薬品類を確認する。
「ゼフェル!」
「あんだよ?」
アタシの『天性の閃き』の瞬間を、ゼフェルは何度も体験してるはずなのに、いつもの如く、『まーた、面倒な事思い付きやがったな』の声音なのが些か気になる。だけども、素晴らしい自分の思いつきを前に、些細なことは取りあえず放って置く。
「思いついちゃったよ!」
「・・・・。」
胡乱な目つきもこの際、ウィンク一つで受け流し、放って置く。
「いいかい!!どうせ、保存容器が駄目になっちまった薬品は持ちゃしないんだから、この際ぱーっと使っちゃおう!そうしようっ!!ハロウィンは、後数時間で終わっちゃうからさぁ!!ド派手に!!そう、このマスクと!魔術師の名に!ふ、さ、わ、し、く!!ゴーーーージャスに!!」
パン、とマスクを打ち鳴らして盛り上がるアタシに、ゼフェルは、ボリボリ、と、面倒そうに、この部屋よろしく、荒れた銀髪を掻きむしって言った。
「それで?何をしようって?」
紅い瞳には、面倒そうな色合いに、確かに『コウイウノ』が大好きなヤンチャ小僧の光が交じっていて、アタシはジャリジャリと割れたガラスをブーツで踏みならしながら、使えそうな薬品を、カウンターに拾い上げていく。
「こいつとぉーーー。コイツ、それからー。コイツも使えそうだし。あー、そうそう。こないだ仕入れた火薬、アレも使い道特にないしさぁ、この際使ってみよっかぁ!!」
「火薬か・・・。それなら・・・・。えぇと、アレ、オレ、どこやったっけかぁ・・・と・・・。」
ゼフェルも自分の親指の先を唇で噛み締めながら、ああじゃこうじゃと、荒れ果てた店を、片付けてるのか、余計に荒らしているのか、分からない動きでウロウロし始め、小一時間もすると、それなりに夜を湧かせる準備が整った。
黒いマントに、タキシード、それから例の仮面を被ったアタシ。ゼフェルはいつもの格好。
「アンタは?」
「オレはいい。打ち上げる時はどーせ客から見えねーし。」
それでアタシら二人は、いそいそと街の広場を目指した。
街は白み始めて、夜の間に出ていた霧も収まり始めた頃合い。あっちでもこっちでも、不細工なジャックオーランタンは、まだ火が灯っている。




オーケー!悪い子はまだまだ起きてる時間だね!
悪霊はアンタん家にはもう行ったかい?
それとももう、過ぎ去った後かな?
ジャックオーランタンは、アンタのとこじゃ役に立った?
それでもまだ・・・
それでもまだ、しつっこい悪霊共が、アンタの家の近くをウロウロしてるってんなら。

この魔術師、オリヴィエに任せてごらん。
夜空に魔法の薬を一滴し。
それからステッキを振って、呪文をこうやってそうっと呟く。

 今日はハロウィン
 これぞハロウィン

 歓待してやろう、お前達!!
 夜空に華を咲かせるよ!
 ほぉらご覧!!

 皆叫んで!!
 いくよ!!
 3・・・2・・・1!!!!




終。

textデータ一覧へ