長すぎる雨







その日は、雨が降っていた。
男の目は、ギラギラと光って。獲物を捕らえる、飢えた獣の瞳。
その日は、雨が降っていた。
アタシは、そこから目を逸らすことが出来ない。
その日は、雨が降っていた。
耳に痛いほどの、けたたましい音をさせて。


その日は、雨が・・・。







-----


ガッシャーーーーーーーーーーンッッ

「?!」
突然の物音に、アタシは飛び起きる。窓から、冷たい夜風がすぅ、と入ってきて、反射的にそちらを見れば。窓枠が豪快に壊れて、きぃきぃと乾いた音を立てていて。かっちりと嵌まっていたはずの硝子板も大方割れて床に散らばっている。揺れる窓枠に辛うじて居残った硝子の切り口に、綺羅綺羅と月光が美しく踊っている。
見とれている場合じゃない。
侵入者?
ぞく、と一瞬背筋が寒くなる。アタシは静かに枕の下に右手を這わせ、忍ばせていた護身用のナイフを探る。
明るく照らし出された窓周辺には誰の気配もない。が、

グゥゥゥゥゥゥ・・・

低い唸り声を聞いた気がした。窓とは反対側、寝室の、ドア付近・・・。枕の下を探っている手の動きを休めずに、ぎこちなく、そちらに視線をゆっくりと移す。暗闇に目を凝らせども、何も見えやしない。
カチャ、と微かな金属音がして、指先がナイフを探り当てる、と同時に、ギラッッ、と何かがその闇の中で弾けた。

「グァァァァッッ!!」
ドッッ!!突きとばされるような鋭い衝撃と咆吼に、アタシは突然押し倒される。あまりの衝撃に、手にしたはずのナイフがベッドの外に吹っ飛んでいく。
「グルルルル・・・」
低い、唸り声。反射的に瞑ってしまった目を、おそるおそる開ける。アタシの上にのしかかっている、ソレは・・・。
銀色の瞳、シルバーの体毛。狼・・・にしてはでかすぎる。人と同じくらいの大きさの、ソレは・・・?
剥き出しになっていたアタシの左肩に、ソイツの爪がぐぐっ、と体重で食い込んでいく。
声、が・・・出ない。
ごく、と唾を飲み込むと、ソレは一瞬、まるで人間のように顔を歪めて。
「グゥ、ガ・・・」
何か言いたげに、低く小さく、唸る。
その獣の湿った呼吸が、肩に突き刺さってくる痛みが、生命の危機を訴えるのに反して、その瞳の輝きが・・・何故か。

アンタ、誰・・・?

胸中で問いが形作られるのと同時に、その獣は、右前足の爪を更に深くメリッとアタシの肩に食い込ませてから、反動を使って、グフゥッッと低く唸って窓に向かい、トンッ、トンッッと素早く軽やかに飛び去っていった。

「・・・・・・い、一体・・・なんなの、アレ・・・。」

アタシは、暫く呆然としてから、やっとやっとで声を出した。

----

聖地。
・・・それは、やることがない場所。
聖地。
・・・それは、退屈で死にそーなトコ。
聖地。
・・・の、はずが・・・。

引き継ぎを終えてからこっち、アタシは聖地の外で息抜きする以外に楽しみを見出せず、いい加減このかったるい日常にうんざりし始めていた。
宇宙にサクリアとやらが必要なのは分かる。アタシに偶然にそういう力が発現して、強制的にここに軟禁されるのも、まあしょうがないだろう。理屈としては、「大多数の幸福を支えるささやかな犠牲」ってヤツ。
まあ、「多くの人の為に私は自分の身を捧げます」なーーーんてご立派な精神はアタシには備わってないし。皆さんの理屈は重々理解した上で、せいぜい、「犠牲」の度合いを最小限に押さえるために、アタシはアタシで個人の幸せを逃がさずに済むように最大限努力するって訳。

だ、け、ど・・・?

「おやー!オリヴィエ、また変わった格好をしてますねぇ。それも最新のファッション、というやつですかー?」
ルヴァのとぼけた声がアタシの背後からかかる。
歩くのも、振り返るのも踊るようなステップで、というのが信条だが、この声にだけはそうする気にはならない。加えて、昨夜の得体の知れない生き物の襲撃で、アタシの左肩にはハデに包帯が巻かれていて、身体がだるい。アタシの玉のお肌になんてことしてくれんの!とは思うけど、相手が獣じゃ、叫んだところで賠償金も取れず。
ぐりり、と、その眠たい声に、身体ごと振り返って、
「あのねぇ、コレがファッション?!どうみても包帯グルグル巻きでしょうがっ!」
イライラを顔の全面に出して言ってやる。が。
「ああ、やはりそうですかぁ。いえね、以前貴方のファッションを理解できずに、腰の辺りがグルグル巻きになっていたのを見て、お腹でも壊しましたか?と聞いてしまったでしょう?あれ以来、私なりに気を遣っているのですよ。ははあ、今回は本当に怪我なんですねぇ。よかったよかった・・・ん?いやぁ、よくはないですね。・・・えぇ!?怪我!!肩全部ですか??大丈夫なのですか?」
天然なのか、嫌味なのか、本当に掴みかねる。
「大丈夫なら、こんな美しくないモノをグルグル巻くわけないでしょーが。」
「オリヴィエ、でも貴方、よく見れば、とてもお元気そうですねぇ。」
・・・か、噛み合ってないし。
苛立ちを通り越して情けなくなってきた。はぁーぁ、とアタシはため息を吐いた。ルヴァ・・・ルヴァに相談するべきなんだろうか。このままじゃあ不安であの部屋では寝られないわ・・・。文字通り、取って喰われる・・・なんて事がありえそうで。
「ルヴァ・・・、あのさ・・・。」
と私が言いかけたタイミングで、
「ふぁぁ・・・。いけませんねぇ。」
ルヴァがそれを遮るように欠伸をして、口に手を当てながら眠そうに言った。
「どうやら本に夢中になりすぎたようです。昨日は珍しく、在る惑星で発禁本になったものの内容を自分でも精査していたのですが、これが面白くてですねぇ。狼が人を襲う話なのですが・・・。」
聞く気など全くなかったが、最後の一言でアタシの眉はぴくっ、と反応した。
「狼?」
「えぇえぇ、狼のような怪物が、夜な夜な人を襲うのですよ。それで、王達はその異形の者を退治しようと試みるのですが、その妖の正体は・・・実はっっ!!」
ごくり、と私は唾を飲み込んで、ルヴァの両肩に手を掛けた。
「・・・・。」
ルヴァは目を伏し目がちにして、右の人差し指を立てたまま、固まっている。・・・やたら溜めるわね。
「じ、実は??」
我慢できず、アタシは自分から聞いた。
「・・・その辺りから記憶がないのですよー。アハハ。続きを帰って読まねば・・・はぁ、眠い眠い。」
ふわわぁーーー、とルヴァは再度、大きな欠伸をした。
アタシはルヴァの肩を掴んだまま、がっくりと項垂れる。んもー、なんなんだいっ、この人の情報は当てになるんだかならないんだかっ!!
「いやいや、貴方がそんなに狼に興味があるとは知りませんでした。貴方も読みますかー?まあでも、発禁書なので、当然ですが、少しばかりグロテスクな表現はありますが。そういうのが、お嫌いでなければ。」
にこっと笑ってアタシを見返す、灰色の瞳。
って、さらっとなんか凄いこと言ってない?グロい本を読んでるルヴァなんか想像したくないっちゅーの!!アタシは指先を額に当てて、瞼を閉じ、緩く頭を振る。
「いいよ、別に。本に興味がある訳じゃないんだ。狼のことでさ・・・。」
アタシは拳を握りつつ、昨日の情景を瞼の裏に思い描いた・・・、そして、若干の涙目で、昨夜の身の震えるような恐怖感を訴えかけようと・・・したのだが、目を開けたときには、既にルヴァの姿はなかった。
「はーぁ、眠い眠い・・・。」
背後でした眠い声を、再び振り返ると、ルヴァは私を通り越して、そのまま何処かへ行こうとしている。肩を自分の拳で小さく叩きながら、首を捻りつつ、スタスタと背中が遠のいていった。
人の話を聞けっつーの!とは思いつつも、この状態のルヴァに話を聞いて貰ったところで、有益な情報など得られそうにないか・・・と思い直した。

この平和ぼけで死にそうな聖地で、命の危険に晒されるだなんて、聞いてないぞ!アタシはぁっ!と心で叫ぶ。
「・・・。どうしよう。」
結局。アタシは独り、両肩をがっくりと落とした。

----

真面目に話をするなら、ジュリアスが近道。肩の傷だって、医者に見せれば多分、何かの獣の爪痕だとは言ってくれるだろう。そう、「とても大きい」獣の。守護聖にンな災難が降りかかったとあれば、あのドキンパツは、ちゃーーーんと、責任を持って対処してくれるだろう。んなこたぁ、分かってる。でも・・・。
「苦手なのよねー・・・。あのカンジ。」
別にジュリアス自身に、何かの因縁があるわけじゃない。ただ、青い目の、あのカンジ、が・・・。
「苦手なのよねー・・・。」
もっと苦手なのは、隣の腰巾着だが。二人の共通属性は、例の訳わからん威圧感。腰巾着の方は、どー考えても計算してやってる節が在るから余計いけ好かない。
何度愚痴ったところで、別にこれといったメリットもないのは分かっているけど、言わずにはおれず、なんとなく口にしながら。私は早足で散歩していた。大した目的もなく、せっかくの休みの日を潰すなんて、勿体ないっ!そうは思うものの、でもあまりにも気が「漫ろ」というやつで。
遊ぶなら、集中して遊ぶ・・・がモットーだしねぇ・・・。
と、目的もなく森の中をふらついていると、ふと、鬱蒼と茂っていた雑木林が切れて、やたらと広い湖に出た。コバルトの湖面は、守護聖の私邸用に与えられた敷地がすっぽり入ってしまいそうな大きさがある。
「こんな広い湖、あったかしら?・・・少なくとも、来たことは無いわね。」
差し込んでくる明るい日差しを避けるために、手で陰を作りながら、辺りを見回す。紫外線が気になるし、ぐるっと一周したら、もう帰ろうかしら・・・。
人影は・・・ない。と思ったとき。
湖の縁の青々とした草むらから突然、ぴょこっと頭が飛び出た。
その、目立ちすぎる頭髪の色は。
「よぉ、夢の守護聖か。珍しいな。こんなとこで。」
両膝を曲げて膝丈ほどの草むらに寝ころんでいたらしい人物は、上半身だけをコチラに向けて、ニヤッと例の笑い顔を見せた。
―うっわぁーーー。誰かと思ったら、例の『腰巾着』じゃない。サイアク。んでもって、サイテェ。
胸中で思いっきり低音ヴォイスでごちてから、
「アッラー、邪魔しちゃったかしら。ごめんなさい。すぐに行くから、気にしないで。」
ホホホホホ、と態とらしく笑いながら、私はその男の側を通り抜けようとする。・・・が。

『マテ・・・。』

そそくさと腰巾着を通り過ぎようとした辺りで、突然聞こえてきた妙な「音」に。ゾワ、と一気に項の毛が逆立って、アタシは反射的にその男を振り向いた。
けど、男は、三角座りの格好のままに、少し驚いた顔をしただけで。
「どうした?何か用か?」
いつもの役者めいた話しっぷりで、男は首を傾げ、アタシに声をかける。
違う。さっきのは、もっとずっと低音だった。まるで、獣の唸り声とヒトの声が合成されたような・・・。そんな。
―聞き違い?
風の唸り声が、ヒトの声のように聞こえることはある。・・・ってこんな晴天の空の下、風といったって、長閑なそよ風くらいなものだ。
「え?えぇ・・・ちょっと、聞き違いだと思うわ。なんか、変な声が聞こえた気がして。」
冷えたままの背筋とは裏腹に、知らず、なんでもない声音を作ってしまう。
「変な声?『耳に心地よい美声』の間違いじゃなくて、か?」
ニヤリと男は再び笑んで、軽く肩を竦めた。アイスブルーの瞳が、猫のそれのように細められ・・・ははは、いい男ですこと、とコチラは自慢のショールがずり下がりそうなのを耐えるのに必死だ。
「やっぱ、聞き違いだったみたい。お騒がせしちゃったわね。バァーイ☆」
「変な奴。」
なんとか気を取り直し、目も合わせずにそれだけ言って、耳に入った異音は聞き流しつつ。アタシはその男から逃げるようにして退散した。

―冗談じゃない。昨日の今日で何かあったら・・・。「何事」かに決まってるじゃない。クワバラクワバラ・・・。

そうでなくても、嫌な予感は的中する方だ。家でじっとして、寝るか・・・。家も家で、不安ではあるけど・・・。
アタシは寒気が這い上ってくるのを、阻止するつもりで自分の両肩をギュッと抱き、身を一度ブルッと震わせた。

後から思えば、この時ジュリアスになんとしてでも相談するべきだったのだ。そしたら、アタシの傷はずっと浅くて済んだのだから。

----

今日の昼下がりに見た大きな湖の前。
だけどそこは昼下がりとはえらく違い、不穏な雰囲気が漂っている。

湖を背に、見覚えのある男が立っていた。両足を肩幅程度に開き、男は両手をわずか、こちらに差し出している。貴族の従者が着ているようなチュニックを纏ってはいるものの、それは泥と降りしきる雨にえらく汚れていて。おおよそ、普段のその男の様子とは違っていた。
『やっと見つけた・・・。フッハハハハハハッッッ!!俺に相応しい、美しき者よ。』
ザァザァと降る大粒の雨が、頭や肩をビシバシを鞭打って、騒音の中、男の声は耳に入ってこない。だけど、それは頭に直接響いてくるような、恐ろしげな響きで、はっきりと「聞こえた」。
『俺のヴィルム・・・』
先程の高圧的な調子から一変、まるで愛しい者の名を呼ぶかのように、男はアタシをじっとみて、うっとりと言った。
いつものあの、声・・・?
赤い髪は雨に打たれて、すっかりと寝ており、アタシと男は2、3Mの距離をあけ、対峙している。周囲はその強烈な雨によって色素を洗い落とされてしまったのか、やけに色褪せていて・・・。

ただ、男のアイスブルーの瞳だけが。
ギラギラと、不気味な光りを放っていた。

足が竦んで、動けない。
この感覚・・・どこかで・・・。

と、脳裏の記憶を探ろうとして。男がニヤ、と更に口の端を上げたのに気を取られ、失敗する。次の瞬間。とてもヒトのそれとは思えない動きと素早さでもって、男はアタシとの間合いを詰めた。
それが詰まりきった、その時。身体に、ほとんど、車に撥ねられたような衝撃を感じる・・・が、それはただ、男がアタシの胸倉を両腕で掴んだに過ぎず。

―え?

噛み付くような、キスだった。事実、私は最初、噛み付かれたのだと思った・・・が。そのまま、男はアタシを降りしきる雨で泥沼になっている草むらに突き飛ばし、首筋に次のキス・・・なんて生易しいモンじゃない、こっちが痛みに顔を顰めずにいられぬ程吸われ、続けざま、鎖骨に噛み付かれる。
―喰われる!
悲鳴を上げる暇も無く、両腕で衣服を荒っぽく引き裂かれた。
ふと、そこで獣の動きが止まる。
『グルル・・・・・。』
獣は、獣らしい呻き方でもって、小さく喉を鳴らした。
いつの間にか力いっぱい瞑っていた瞳のうち、片目だけ、うっすらと開ける。と、アタシの腰の上に馬乗りになった男は、アタシの露になった胸元辺りをみつめたまま、肩を落して、じっとしていた。そして、冷えきった身体と、泥にまみれた自分の悲惨さにアタシがやっと思い及んだくらいの頃合いで、
『信じられん・・・。お前・・・オスだったのか。』
と、言った。

先程まで、大音量で地面を叩いていたスコールは、少しその雨音を弱めて、周囲の光量を一段階上げる。
少しだけよくなった視界の下で見た、ソイツの顔は。敵と間違って父を殺してしまったとでも言うような、茫然自失の無表情だった。

--

館で休もうとは思ったものの、「あの」部屋に入る気がしなくて、ひとまず「外」に出て、一杯だけ引っかけたところまでは記憶があるのだ。問題は、その後。
その後の記憶がさっぱりない。
「はへないのか?ふまいぞ??」
おそらく、「食べないのか、うまいぞ」なのは分かる。分からないのは、差し出された、木の棒に刺さって、丸焦げになっているブツの方だ。
足なのか手なのかよく分からないものが4つ程、飛び出している。まさか・・・トカゲ・・・。
アタシはそれを視界から追い出すように視線を逸らし、堅い岩盤の壁に背中をもたせ掛ける。ゴツ、と一際飛び出ていたらしい、岩に腰が当たってしまった。こんなところに長居してたら、玉のお肌が傷だらけになるのも時間の問題。アタシは胸で泣いた。
っていうか、ココはドコな訳・・・。いや、さっきの湖からそれほど離れてない洞窟なことは分かってる。問題はそうじゃなくって・・・。
「アンタ、オスカーにそっくりだけど、オスカー・・・じゃ、ないわよね??」
駄目でもともと、とやる気なく繰り出した質問だった。
「!?何故、その名を?最早、その名で俺を呼ぶ者はいないぞ。」
が、男は目を丸くして、洞窟の中心でパチパチと音を立てていた火を弄る手を、思わず、と言った体で止める。
ややこしいったら・・・。ってことは別人だけど、同じ名前って事か。んでもって・・・。
「アンタもオスカーっての。あのさ、今って何年とか、分かる?」
これも駄目元だ。
「何年?ヒトの使う暦のことか?分からんが、知りたいなら、今日の夜、ヒエロトに行った時に調べられるだろう。なんなら、お前も来るか?」
男はダンスに行かないか?と誘うような、悪戯っぽい笑みを見せて、首を傾げてみせた。ついさっき、『俺のヴィルム・・・』とかなんとか言った時にみせたウットリとした表情を彷彿とさせ、アタシは再び、ゾクッと寒気を覚える。
「ヒエロトって何?」
寒気を無視してアタシは片膝を立て、それを引き寄せながら聞く。
「ヒトが建てた馬鹿でかい建物だ。彼奴らは毎日そこで馬鹿みたいに騒いでいる。」
この質問には吐き捨てるような低い声で、男は返した。
「ヒト?彼奴ら??・・・アンタはヒトじゃない訳?」
今度はきょとん、と突然子供のような顔を見せる。
「?お前、見た目が変わってるだけじゃなく、鼻も効かないんだな?俺がヒトに見えるのか?」
「今は見える。」
これはホント、さっきはヒトには見えなかった。良いとこ、「野獣」だ。引き寄せた膝の上に、顎を乗せ、アタシは大分、自暴自棄でやりとりを続ける。
男は、アタシの知ってる炎の守護聖がそうするように、喉の奥を詰まらせて笑った。
「クッ、『今は』か。変なことを言う奴だな?俺の母は水の精で、父はグレンデルだ。俺の形質はグレンデルが多めに出ている・・・だが、やはり力が足りん。母もグレンデルだったなら、こんなことには悩まされずに済むんだがな。」
最後に、フン、と息を小さく吐く。
「今は、仮の姿って訳?」
来たねコレ。水の精・・・。つまりは、選択肢は四つ。相当文化レベルが低くて迷信と妄想の類いが「現実」として闊歩している世界か、『科学』と名付けられるところを誤って別の『魔法』だの『精霊』だのという言葉(ラベル)が当たっている世界か、この男がただの妄想野郎か・・・あるいは、これがただの夢か。
アタシとしては、3番と4番を是非正解として推したいトコだけど、残念ながら、4番は望み薄だ。なんてったって、さっきの泥の感触といい、その後、泥を流すために入った湖の冷たさといい、この男が起こしてくれた火の暖かさといい、妙にリアルすぎる。
リアル故に、マスカラもシャドーも流れかかってベトついてる瞼を感じている訳で。ここで直すのは到底無理だろうと思えば、気にしないにこしたことはないけれど。破られた服の代わりに男が用意してくれたチュニックも、どう考えても誰かのお古だし、ここでお洒落しようとは思わないけど・・・。まぁ、つまり・・・サイテェ。
アタシはグゥ、と低くなった自分のお腹も気にしないことにして、やはりやる気なく、答えを待った。情報収集したトコで、それが役に立つかどうかは分からない・・・といって、どうにでもなれと自棄を決め込める程、アタシは出来ちゃいない。
「そうだ。お前と同様、な。」
男は新たな串を火にかけながら、口の端を上げて、首を傾げて見せた。
って、ちょっと待って待って・・・。
「はっ?!アタシと同様?!・・・そんじゃ、アタシはヒトじゃなくてなんだってーの?!」
ほとんど叫ぶようにして言えば。
「何を言ってる?お前、大丈夫か?」
男は心の底から心配しているような顔をして、眉をこれ以上ないぐらいに吊り上げてから、
「ヴィルムだろ?匂いがしてるぜ?」
と呆れたように続け、肩を竦めた。
アタシは思わず唇で一、二度空気を食んでから、
「ヴィルムって、何?」
やっとで、聞いた。
「・・・。」
今度は、男が詰まる番だった。アタシをそんなに凝視したって、アタシは答えを持ってない。ただ、当惑した視線を返していると、
「何・・・と言われても、な。ヴィルムはヴィルムだ。お前、はぐれてるだけじゃなく、記憶がないのか?」
はぐれてる。ヴィルムってのがどんな生き物かしらないけど、群れて行動する種ってことなのかしら?ハハハ、アタシに向いてなさそー。
「記憶・・・そうね。ここが何処で、ヴィルムが何で、グレなんちゃら?が何だか、知らないわ。それに・・・これからアンタがアタシをどうするつもりなのかも。」
肩を竦めて、アタシは前髪を軽く掻き上げる。いつになく、指どおりが悪くて、げんなりする。相手の顔を見る気力もなかった、が。
「俺は、友の仇を打ちたい。だが、俺一人の力では足りん。」
返ってきたのは、えらく苦しげな、絞り出すような声で。妙な真剣さに思わずそちらに視線を戻すと、男は、空いた左手をグッと握り締めていた。珍しく、悩ましげな表情。少なくとも炎の守護聖がそんな繊細な顔をしてるのを見たことはなかった。僅かに寄った眉に、僅かに噛締められる、唇。「友」とやらを思い出しているのかしら。
アタシがその伏せられた睫の奥で光るアイスブルーをじっと自分の膝越しにみると、男は微動だにしないまま、瞳だけをこちらに据えた。
「ヴィルムとの契約が必要だ。」
唐突な事務口調。しかも、男はすっくと立って、アタシのすぐ側まで歩みを進め、しゃがみこんだ。
しまった!壁を背にしたのは凡ミス!!とアタシが思ったのも、つかの間。左手をアタシの顔のすぐ側の岩盤に突っ張り、アタシの顎を持ち上げようかと右手が近づいてきているのを見て、ビクッと体が反応する。
まさか、さっきの続きじゃ・・・と思ったのは言うまでもない。
が。男は興ざめしたように、近づけて来た右手を脱力させ、地面にほうり出すと、瞳を殊更近づけて、噛み付くようにして言った。
「お前まで、ヒトと一緒か。一体俺が何をしたって言うんだ!!」
ギン、と眼光で殺してやる、とばかりに睨まれるが、生憎そういうのは怖くはない。それに。
「ハッ?出会うなり突然どつかれて噛み付かれて服毟られたモンが、そいつが近づいて来てビビらないと思ってる訳?何をした?十分なこと、しでかしてくれたでしょーがっ!」
怒りにまかせて、アタシは男の胸ぐらを掴む。
男は意外にも。胸ぐらを掴まれて、弾けるように、破顔した。
「ハハッ、それもそうだな。」
見たことがないような、素直な笑い顔で、アタシは面食らう。胸ぐらを掴み上げているアタシの手を、男はやんわりと上から握って外すと、にっこり顔のまま、瞳を閉じ、顔を僅か傾けて。
「・・・・っ。」
目ぇ見開いて、固まってるこっちにはお構いなしに、ゆっくりとそれは私の下唇を吸い、やがて離れていく。
「フフッ、今度は『噛み付いて』ないだろ?」
いやあのだから、そういう問題なの!?得意気に笑われて、アタシは思わず立てていた膝に額を当てて項垂れる。間近にいる男の気配に遠ざかる様子はない。
「一体、なんな訳・・・。男同士でそういうの、普通なの?」
項垂れたままに、問う。少なくとも、炎の守護聖オスカーにとっちゃ、普通じゃないはずで。ここではどうだか、知らないけど。
ぽんぽん、と男は大きな掌で、アタシの頭を撫でた。
「お前がメスなら、言うことなかったんだがな。・・・だが、俺は強いヴィルムが欲しい。お前のように美しいヴィルムは初めて見たからな。絶対お前と契約する。」
『美しい』は嬉しいわよ、嬉しいけど。今回ばかりは言われてる相手が相手だけに「不吉な」香りがしてしょうがない形容詞だわ。なんとか顔を上げて、間近にある男のアイスブルーに視線を戻す。どこか子供っぽい表情は、普段の太々しいあの男とは別人のように思えなくもない。
「だーかーらぁ、契約って、ヴィルムって何よ?」
・・・。また沈黙。ほんの少し、ふてくされたように、男はアタシから視線を逸らした。
「契約は契約だ。契りを結んだヴィルムは、主人のものとなる。ヴィルムと組まないと、俺は魔法も使えんし、飛べないし・・・。つまり、仇討ちするのに、色々と不便だ。」
指先で前髪を弄んで居る様子から、男が「ふてくされている」というよりは「照れている」のだと思って、いよいよ『契り』という言葉に嫌な予感を募らせる。しかもマホーときた。
「『契り』ってまさか・・・。」
「メスのヴィルムには、主が精を与える。オスの場合は・・・。」
右手の人差し指をアタシの前でピンと立て、何かをふっ切るように、えらく真面目な口調でそこまで言ってから。小さく続けた。
「まぁ、その。逆だ。」
おぉーーーーーーーーーーーーいッッ!!アタシは、長いため息を吐く。
勘弁してよ、なんじゃそらぁ?!?!神様仏様、女王陛下っっ!!アタシを聖地に返して〜〜〜〜〜〜〜っっ!!
思いっきり心中で叫ぶが、これといった効果はなし。
「俺だって、覚悟が出来た訳じゃない。今日の晩もヒエロトで一暴れしてやる。そろそろ、あの男も来る頃だろう。あの男の実力を見てからでも、契約は遅くないしな。」
アイスブルーが怪しげに光り、上がった口の端が、残忍な笑みを形作った。

あー、嫌な予感。
は、ははは・・、と乾いた笑いを返しながら、思った。

きっと今のアタシの瞳はこれ以上ないくらいに泳いでいるに違いない。



終。

次へ
textデータ一覧へ