カタチヅクラレル、ワタクシ



シャワーを浴びながら、ふと思いついて、バスルームを出るなり、ベッドの上で足の爪を切っているリュミエールに俺は聞いた。
パチンッ、パチンッ・・・随分大ぶりの爪切りを使ってやがる。まるでペンチかなにかのようだ。
「お前の故郷(くに)では、成人はいくつだ?」
・・・パチンッ。
「なんです?突然・・・たしか18ですが。庶民にはあまり関係がありませんね。その手のイベントは。」
男の向こうの大きな窓から差し込む、土の曜日の午前の日差しに薄い色の髪が透ける。やたらに長閑だ。素っ気ない白いシャツに、ベロアの黒いスラックスで、男はこちらを一瞥する気配もなく。一度手を止めただけで、再び、ベッドの上に敷いた大きな布の上に切った爪を落としながら答える。
『庶民』のところにアクセントがあるのは、いつもの嫌味の一種だ。俺はそれを聞き流した。
「なんだ。何もしないのか?」
「いや、母親の趣味ですね。そういうイベントが好きな家は、ご馳走を食べた後、家の鍵を家長・・・つまり父親が子供に渡すんじゃなかったですかね。」
一通り切り終わったのか、男は革製のエチケットケースからこれまた大ぶりのヤスリを取り出し、処理を続ける。
鍵、鍵ね・・・そういやそんな祝い方もあった気がする。つまり、門を破らなくても、普通に好きな時間に玄関から帰ってこれる年って訳か。なんの名残だろう・・・。
「いずれにしろ、お前は成人の日の前に、聖地(ここ)に来ちまったってことだな。」
俺は男が足の爪をやするのをぼんやり眺めながら、頭を乱暴に拭き続ける。
「ですから。成人してるだの、してないだのというのは、私の居た惑星(ほし)では、あまり関係がありませんよ。12を過ぎれば大人と同じ量アルコールを嗜む者もおりますし。16を過ぎれば恋人が居なければ訝しまれますね。」
長く白く、細い指が無骨な動きをするのが、アンバランスで面白い。
「そうか。だが、俺の故郷(ところ)じゃ大違いなんだ。」
「一体なんです?」
やる気のない問い。
「いや、お前ももう立派な大人だし。」
「はぁ?」
男はやっと俺に視線を送ってよこした。ただし、その目は呆れかえっており、女のように美しい顔は『何を言い出したんだ、この男は?』とばかりに思いっきり俺を小馬鹿にはしていたが。
「いいから。俺に任せとけ。」
俺はそれを受け流して、タオルを被ったままに、ニィ、と口の端を上げてやった。

-------

「お誕生日、おめでとうございます。お坊ちゃま。」
朝「おはようございます」の代わりとばかり、起きるなり、言われる。
「お坊ちゃま、は今日でいい加減卒業させてくれよな?」
俺は笑った。
「まあ、そうですわね。でも私にとってはいつまでもお坊ちゃまですわ。坊ちゃまがご主人様(当主の意)とお成りになるまでは。」
軽やかに笑って、彼女は今日のための派手すぎる衣装を用意し始める。
彼女は俺と2才かそこらしか変わらないが、どうやらそこは使用人として譲れないらしい。
『そんな日』は来ないんだぜ、と脳裏で軽く笑ってから、
「せめて、名前で呼ぶとか。」
俺はちょっとむくれた声を態と作って困らせようとした、が。
「まあっ!黄色い声で「オスカー様」と二人称で呼ばれるのは、街の娘たちだけでご満足されているのではなかったのですか!」
と、大袈裟に吃驚されて、逆にやりこめられてしまった。
ちぇ、面白くない、と唇を尖らせて俺は言い、笑った。

沐浴を済ませ、自室に戻って着替えてから、父の部屋へ向かう途中で、母と鉢合わせた。
「今日は又、えらくいい男だな。オスカー。」
「俺が毎日いい男なのは当たり前です。母上様も、今日も一段と凛々しくていらっしゃる。」
俺は軽口を叩き、手にキスをしようと手を取ろうとしたが、
「そういうのは好きじゃないといつも言ってるだろう。おいで。」
母は、両手を軽く身体の脇に開き、ハグの体勢で俺を見上げる。カールしたブルネットが女性らしいのと、若くて美しい面立ちの他は、帯剣しているせいもあるが、騎士そのものだ。
俺は、そっと母を抱こうとしたが、母は幼子を抱きしめるようにぎゅっと腕に力を込めて俺を抱いた。
「もう、18か。早いな。」
母は俺の耳元で感慨深げに呟いた。
「母上は、何年経っても変わりません。」
俺がまだ幼かった頃の母を瞼に思い描いて、真面目に言った。
「フン、お前は世辞が巧すぎる。」
母は全く相手にせず、俺の両頬を軽く両手でつねって、弄んでから、
「先に出て準備をしている。ゆっくり話せ。」
目的語を伏せて短く言い捨てると、すい、と俺の脇を擦り抜けて後ろ姿で手を軽く振った。
俺は一度軽く肩を竦めてから、父と「ゆっくり話せ」だって?全く簡単に言ってくれるな、あの人も・・・と俺は軽く天井に息を吐きだしてから、扉の前に立ち。深呼吸してから、ノックした。
「入れ。」
低いが、響く声が扉越しに聞こえ、俺は扉を開いた。
「おはようございます。父上。」
入ってから深く頭を一度下げて、俺は笑った。
「・・・。ああ、おはよう。」
ソファに深く腰掛けたまま、正装からコートを脱いだだけの父が、指先でちょいちょい、と向かい合ったソファを指さし、
「座れ。」
と短く言った。
「はっ。」
命令に脊髄反射で返事を返しながら、ソファに回り込んで座る。
「馬子にも衣装とはよく言ったものだ。」
俺の頭の先からつま先までをゆっくりと眺めてから、父は口ひげを触りつつ、感心したように言う。
成人の儀式には家々で用意した派手な衣装を纏うが、我が家の白い騎士の衣装は、ところどころ金色の装飾が施されていて、少し派手すぎる。顔が派手でなけりゃ衣装負けしちまう代物だ。父上のような鮮やかな金髪なら、あるいは無条件で似合うのかも知れないが。
「馬子とはあんまりです。」
苦笑しながら、俺は小さく反論する。寧ろ俺だから着こなせていると言って欲しいですね、と他の誰かが相手なら、続けたいところだった。
「学校は主席だったそうだな。」
「はい。」
「そうか、知らなかった。『アルバートが次席だということは聞いたが』と言ったら部下に笑われた。」
「すみません。報告しておりませんでしたね。」
「いや・・・、いいのだ。」
・・・。長い沈黙。
父とは昔からこうだったろうか、と俺はぼんやりと思い出そうとする。・・・分からない。
「そろそろだな。」
やっと、沈黙を破って、小さく父が言った。
聖地から使者の方がいらして1年が、そろそろ経とうとしている。おそらくその時期のことだろう。
俺は小さく息を吸って、膝の上の拳をきゅっと握り直し、
「・・・はい。」
答えた。
「残り何ヶ月か・・・期間はないが、現場を見ておけ。・・・春からお前は殿上人だ。」
「はい。」
「しっかり、お仕えするように。」
「はい。有り難うございます。残り僅かとなりましたが、それまでの間、宜しくお願いいたします。」
本当は、もっと・・・他に言いたいことがあるような気がした。聞いておかなければならないことも。
「次期当主殿を呼べ。」
暫くの沈黙の後、真面目に引き締めていた顔を、少し崩して仕方なさそうに父は笑った。
「はっ。」
命を下されて、俺は席を立つ。
『残り僅か』か。
どうせなら、心の準備などする間もなく、「明日から奉公せよ」とでも言われて無理矢理に聖地とやらに連れて行ってもらいたいものだがな。長すぎる準備期間は、心が中途半端にぶらついて、どうにも過ごしにくい。
しかし、時間を与えられた以上、それを無駄にするわけにもいかない。俺は此処でしか学べないことを出来る限り学んで、此処を胸に焼き付けていこうと決めている。

父の部屋を出て、考え事をしながら弟の部屋の前に移動し、
「おい。クラウス、父上がお呼びだ。」
コン、と一度やる気無くノックして、俺は片手を腰に当てて扉の外で返事を待つ。と、突然、
バンッッと勢いよく扉が開いて、
「兄さんっっ!!」
と弟が飛び出してきた。イキナリ飛びつかれて、俺はバランスを崩しかけ、おっとっと、と二歩後ろに下がって衝撃を吸収する。
「元気だな。相変わらず。」
俺が苦笑すると、
「どうしてもっと繁く帰ってこないのですか!家でしか会えないのに!兄さんはひどい!」
若干涙目で弟は俺を見上げ、胸を一度、ドン、と右の拳で叩く。
しゃらん、と柔らかな音で、今日の日に誂えられた金細工の胸飾りが揺れた。
「学校を卒業したばかりで家にしょっちゅう帰ってきてたら務まらん。アホかお前は。・・・・っと、お前と喧嘩しにきたわけじゃないんだ。父上が呼んでる。行くぞ。」
くしゃ、と父と同じ色の明るい金髪を右手で握ってから「ん?」と瞳を覗き込むと、弟は拗ねたように黙り込んで、「行きます。」とどこか明後日を向いて呟いた。条件反射だろうか?弟はいつもこうすると大人しく言うことを聞く。俺はハハッと軽く笑って、俺の肩の位置にある弟の頭を一度撫で、くるりとリズムよく向きを変えると、先に立って歩いた。
後ろを付いてくる弟の足音は、俺の知らない間に、ほとんど軍人のそれになっていた。

--

―本当は・・・話すべき事が。聞くべき事が。・・・あるのではないか、と。

胸を過ぎる曖昧な気持ちとは裏腹に、俺は垂直に立って、迷いを断ち切るようにして父の目を見た。
「クラウス、オスカーは、春でここを去る。お前も心しておけ。」
クラウスを真っ直ぐに見やる父。灰色の瞳は、百戦錬磨の軍神の目。
そこから目を反らし、クラウスは、瞳を伏せ、拳を握った。
「無理です。父さんだって、分かっているでしょう。僕に、兄さんの代わりなど出来るはずがないっ!!」
小さな声は、やがて大きくなって、怒気を孕んだ瞳が、キッと、父を見返す。
「駄々を捏ねている場合か。」
父が呆れたように無表情に言うのに、俺は激昂しそうになる弟を左手で軽く制して、父と弟の間に少しだけ身体を入れるような格好になる。
「ずっと次男坊のつもりでクラウスは来たんです。ある程度は仕方がないことです。」
だけどな、と俺はクラウスを振り返り、
「実際に、俺はもうすぐ居なくなっちまうんだぜ。クラウス。兄は戦死したとでも思って、覚悟を決めて、家を守るんだ。じゃないと、俺も安心して家を出られないだろ?」
と最後は笑いかけてやる。が、
「それなら、僕がずっと覚悟を決めないでいたら、兄さんは残ってくださいますか?」
弟は皮肉っぽく言い放ち、フフ、と嗤った。いつの間にこんなにひねくれやがった、と俺は若干頭に来る。
「どこまで駄々を捏ねるつもりだ。ったく。」
小さく口の中でごちてから、
「父上の前でなんてザマだ。出来ない子ごっこがやりたいなら、俺が聖地に召されてから存分にやれ。馬鹿。」
と肩を竦めてやると、
「僕はっっ!!家なんか継がないっっ!!」
と、弟は叫ぶように言い捨てて、部屋を飛び出していった。
俺が後を追おうと、「連れ戻してきます」と言うと、俺の腕を父がガシッと乱暴に掴んで止めた。
「放っておけ。」
「ですが・・・。」
「いいのだ。普通は・・・。当家の次期当主が普通でいいのかという問題はともかくな。・・・普通は、出来過ぎた兄を持った弟は、兄をコンプレックスに思うものだ・・・良い意味にしろ、悪い意味にしろな。あれは、良くも悪くも素直すぎる。」
ふぅ、とあまり父親らしいとも思ったことのない父が、いつか映画で観たような、息子に振り回されるごく普通の父親の表情を覗かせる。
父の目が、じっと俺と同じ高さで、俺の目を見た。父の・・・こんなに側に立ったのは、いつ以来だろうか。もう思い出せない。
父の手が、俺の頬に伸びようとして、途中で、止まった。

『・・・シェマ。』

と、父が呼ぶのではないかと思った。父は黙ったまま、数秒間そうして俺の瞳を見てから「召されたのが、お前で良かったかも知れん。」と言った。そうですか、と俺は言いたかったが、声が出ず。そのまま、俺も父と同じように、拳のようなものを片手で力なく作って、
「では、行って参ります。」
歯を少しだけ覗かせて爽やかに笑ってみせた。


---------

「まぁ、大雑把に言うと、こうだ。成人の日には、沐浴、挨拶、披露目の意味のパレード、帯剣の儀式・・・って言っても実際はこの儀式の前から日常的に士官学校卒は帯剣が許されているんだが・・・まあ、んでもって、最後はパーティって訳だな。これで成人・・・一人前の騎士の一丁上がり、と言う訳だ。」
男は、組んでいた腕を解き、分かったか?とばかりに右の手のひらを天井に向けて私をニヤッと見た。
「朝一番から訳の分からないことばかり言いますね?目の覚めるハーブティでもお煎れしましょうか?」
呆れて物が言えない。寝起きは少しばかりおかしな時があるから、きっとコレもその一種だろうと、私は自分の足の爪を一通り確認して、出していた道具を革製の、無骨だが頼りがいのあるエチケットケースにしまった。
「俺の目はパッチリシッカリ覚めてるぜ。お前もしかして老眼か?」
喧嘩を売るつもりか。懲りない男だ。ベッドの上からするりと降りて、エチケットケースをドレッサーに戻すため、オスカーの横を抜けざまに、
「いえ。『いつものように』見た目にはパッチリシッカリ覚めていても、オツムの方がお休みなのかと思ったまでです。」
クス、と鼻で笑った。
「相変わらずの減らず口だな、ヲイ。まあ、いい。とにかく、パレードは無理でも沐浴くらいできるだろ?さっさと身体を清めてこい。」
珍しく、喧嘩を買わないのだな、と感心しかけたところで、耳を疑う台詞が続いた。
な、なんだって?
思わず、重たいエチケットケースがゴトン、とドレッサーの天板に落ちた。鏡の中に相手が映っていることも忘れ、片手をついて、くるり、と背後を振り返る。
「私が?何故??」
パチ、パチ、と自分の瞼が大きく二度音を立てて開閉した。男はバスタオルを腰に巻いただけの状態で、仁王立ちしてこちらを向き、
「何って、お前の成人式をやるんだろ?」
肩を寄せて、笑ってみせた。

「と、とうとう・・・頭が・・・。」
と、私が震える指先でオスカーを指さしたところ、オスカーが素早くベッドの上の枕を拾い上げ、それを抱えたままにタックルしてきたので、私はドンッと一気に床に倒されて、噎せ込み。続きを告げることは出来なかった。

--------

自然、父の部屋を出た後、ある部屋に俺の足は向かった。
家の中では珍しい、少し装飾の施された華奢なノブに手を掛けて、すい、とそれを押し下げると、キィと乾いた音がして、ほとんど力を入れずとも、その扉は開いた。
誰かが、手入れしているのだな・・・と俺は思った。誰も使っていない、ほとんど誰も踏み入らないその部屋なのに、埃が溜まっていなかった。ほとんどの家具類には、布が掛けられている。俺はぐるっとその様子を見回してから、部屋に入り、扉を閉めた。
扉を入って正面の壁の、高い位置に肖像画が掛けられている。

濃い、鮮やかなブルーを背景にした、女性。
椅子に浅く腰掛け、黒い薄い布製の変わった異国の服を着て、行儀良く膝の上で手を組んでいる。
肖像画にしては珍しく、悪戯っぽく女性は笑っていた。
「何がおかしいんです?」
俺は何度となく繰り返した問いを投げる。
いつも、返事はない。
俺は肖像画を見上げたまま、沈黙を数えた。
が、
「何も・・・おかしくなどありません。」
無粋な返事は、細い少女の声。
「お前な。悪趣味だぞ!」
俺はそれまでの感傷的な気分を、ため息と共に振り切って、説教モードで身体ごと振り返った。
「後からいらしたのは兄様ですわ。」
布を掛けられた家具の間から綺麗にカールしたブルネットを、前髪だけ後ろで纏めた妹が顔を出し、ツン、と鼻を天井に向ける。
なんつー可愛さしてんだ、お前は。と思わず駆け寄ってかいぐりしたくなる。
母上をそのまま小さくして、表情を女らしくしたみたいな、その顔は、やたらに可愛らしい。子供だから造形が小さくて可愛いという面も無論あるが、絶対将来は母上を超える美人になると俺は踏んでいる。
「後から俺が来たから何なんだ。レディになるにはまだまだ修行が足りないみたいだな!」
俺が腕組みして彼女の前で仁王立ちし、どうだ?と上半身を曲げて顔を近づけると、妹はかっと一瞬で頬を紅潮させ、
「そこら中に転がってるのが『レディ』なら、私はそんなものには興味ありません!」
ふんわり膨らんだスカートをきゅっ、と小さな小さな拳で握りしめ、タタタッと小走りで部屋から出て行った。
ヤレヤレ、こっちも反抗期か。父上母上は苦労されるな・・・。と取り残された俺は冬の穏やかな日差しが差し込む部屋で、ちらりと例の肖像画を見上げる。
―・・・・。
自分の顎を指先で軽く撫ぜる。
「・・・・。」
その呼び方では呼ばないと、昔、決めた。だから、俺も名前で呼んでいいですか?

少し日焼けした肌。硝子のように鋭利な瞳は、携えられた悪戯っぽい笑顔で印象を柔らかくしている。
異国の、女。
布製の服は、惑星を無くし、この星に流入した民の衣装。
土地を無くしても卑屈にならない、不思議な民。
気高い氷色の瞳。
緋色の・・・髪。

いかんな、ボーッとしすぎた。そろそろ時間だ。

俺は、誰だ?

次期当主?次代の炎の守護聖?
別に、なんだっていいんだ、俺は。やるべきことが、そこにありさえすれば。
俺が必要とされているなら、そしてそこに価値を見出すことさえできれば。俺はそこに飛んでいって、なすべきことをなすさ。
それがたとえ、死地の最前線だろうが、絶海の孤島であろうが、聖地であろうが。

最善を、叩き出してみせる。

--

バサッ、と日の光に映える鮮やかなブルーのマントの翻し、俺は裏庭を横切って厩舎に向かう。パレードの準備だ。
パレードの後は、神殿で帯剣の儀式、その後はチャンバラごっこして見せて、締めのパーティは確か立食だったか。パーティの前にシャワーを浴びる時間を確保できると良いんだが。
お偉方に捕まると長いからな・・・。
冬の柔らかな陽光が、庭に配置された針葉樹の隙間から零れ、湿った土の匂いが鼻腔を撫でる。
とりとめもなく、考えを巡らせた辺りで、
「よっ!オスカー。」
ふざけた挨拶と共に、目の前に「ひっかけてやるぞ」とばかりに片足を突き出される。俺は、それを飛び越えてやってから、
「人ん家の敷地内に勝手に入ってきて、陥れるのがお前のやり方か?」
振り返り様、眉を吊り上げて聞いてやる。
黒い甲冑、深紅のマントに身を包んだアルバートだった。こいつの生家の色は確か緑だったはず、おそらく俺と模擬戦をすることを考えて、わざわざマントの色を変えてきたのだろう。イチイチ芸が細かい。
「模擬戦の相手が剣握らせたら百戦百勝の主席殿とあれば、怪我でもしてもらえればラッキー、それが無理なら手を抜いてもらえないかと交渉に来た訳よ。殊勝だろー?これがそこらの、名門に生まれてなかったら戦場で3秒で殺られてるような真性お坊ちゃん相手なら、俺も気は使わなくて済むんだがな。」
へっへ、とアルバートは笑って顎を撫で、短く刈った銀髪の頭を傾げて見せる。手段を選ばないと同期では悪名高いコイツの台詞じゃ、あながち冗談とも思えない。
「あのなぁ・・・毒を盛られてないことに感謝でもしろってのか?それに、手を抜けというなら、頼む相手を間違ってるぜ!次席殿!」
俺は間合いを取って上体を構えながら、マントに利き手を隠して剣を抜く振りをする。
「おっと、そのハッタリは通用しないぜ。お前が剣を抜くときは、「理由」がいるだろ?親友とじゃれ合うのは理由になってないぜ?」
肩を大仰に竦められて、
「お前な・・・誰が親友だって?悪友の間違いだろうが。」
挑発に乗らないアルバートが面白くなくて俺は構えを解く。
「ま、せめても5分程度は戦わせてくれよな?俺は、後輩いじめが趣味の上司と喧嘩をしたばかりで右足を痛めてる。怪我人は労れよな。」
なんたる自己管理の甘さ・・・アルバートらしくない。喧嘩を売るのが趣味なのは知っていたがな、と失笑が漏れる。
「言われなくても、そのつもりだ。見せ物のチャンバラごっこで誰が本気で相手を潰すか。」
「まあお優しいこと!その優しさで勝ちも譲っていただけると有り難いが。」
「調子に乗りすぎだ。馬鹿。」
無駄口を叩いている場合ではなかった。
俺はため息を吐いてから、奴の左側を擦り抜けようと足を運ぶ、が。
「オスカー。何か、俺に言うことはないか?」
すれ違い様に、肩を強く片手で掴まれて、引かれる。
「痛てぇな。せっかくの衣装が傷ついたらどうすんだ。」
俺は些か苛ついて、頭半個分、下にある奴の瞳を睨むと、奴も鋭い眼光で睨み上げながら、短く唸った。
「答えろ。」
「ない。」
即答を返して肩を掴んだ腕を握って、軽く捻る。「捻り上げられてはたまらん」と、アルバートの腕の力が抜けたのを確認して、解放してやった。
そのまま、立ち去ろうとすると、背後で奴が独り言の様に言った。
「オスカー、俺はお前を友達だなんて思ったことはないし、対等だと思ったこともない。お前は王立派遣軍の大将の息子。俺の大事なお偉方とのコネクションだ。」
知ってる。お前がある意味俺より親父と近しいのも。家名に乏しいお前が、立身出世に忙しいのもな。俺は苦笑しながらも、振り返らない。
「勝手に消えるなよ。」
が、続けられた意外な言葉に「なんだって?」と思って振り返ると、既に奴は消えていた。
どっから入って、どっから出て行ったんだ、彼奴は・・・。軽量化されたものとはいえ、甲冑は重いだろうに。寮生時代は門限破りの常習犯同士ではあったが、それでもやはり、奴の身軽さには恐れ入る。

しかし、『消えるなよ』とは穏やかじゃない。
奴は、俺が聖地に行くことも知らないはずだが。
訝しみつつも、そもそも聞き違いだったかも知れないと、俺は大して気に留めなかった。

--

「オスカー様ぁっ!!オスカー様ぁっっ!!」
トランペットのマーチに負けない大きさで黄色い絶叫が飛ぶ中、
「どうやったら、男社会で生活してこれだけの女性と知り合いになれるか教えろよっ。」
馬を寄せてきたアルバートに野太い声でほとんど叫ぶようにして問われる。
「マメさと、容姿の出来の違いだな。」
ニヒルな声を作って返しながらも、沿道のレディ達には爽やかな笑顔と手を振るのを休めない。
お。彼女は確か以前一度手紙をくれた女性(ひと)だ。まだ俺を想っていてくれたとは・・・我ながら俺も罪深い男だぜ。俺が総てのレディを幸せにすることが出来れば言うことないんだが・・・申し訳ないが投げキッスで今は勘弁してくれよな?
視線を送りながら投げた接吻に、女性は持っていた日傘を手放して地面に崩折れた。しまった、刺激が強すぎたか・・・。
俺の高尚な苦悩を理解出来るはずもない同僚は、
「何一人で百面相やってんだ、お前・・・。」
と、呆れた声で俺の思考を中断させる。
「お前みたいな出世欲の固まりに俺の苦悩が分かってたまるか。」
俺はハッ、とそのやっかみを笑い飛ばして、盛大なため息をついた悪友から離れた。

神殿にはさすがに部外者は入れないため、父の同僚と元老院の議員達というお偉方面子と、家族と神官、それからこの後の模擬戦に参加するアルバートのみが入殿を許される。
石造りの古臭い神殿は、だがさすがに神事を長年執り行ってきた為か、神聖な空気が漂っていて。先程までの喧噪と、この痛いほどの沈黙の差が、更にその神聖さを崇高なものに仕立て上げている気がした。

神殿の最奥は神鳥の間と呼ばれており、窓がないため日の光は入ってこない。が、天井が薄い青ガラスで作られていて、平面光源がその向こうから部屋を薄青く、明るく照らしている。入り口の対面に、横幅も高さも、俺の身長の三倍以上はあろうかという巨大な一枚岩が平らに削られ、神鳥のマークが彫り込まれて設置されており、その前に年老いた神官が一人立っていた。
思ったより質素な儀式なのだなと俺は思ったが、煌やかにしない方が、反ってそれに参加するものの心持ちを引き締めるのかもしれない。

事前に指示されていた通り、神官の前に歩み出て、これまで使ってきた剣を外し、跪く。それを石の床の上に丁寧に置いてから、前を向くと、神官は白い長衣から、ともすれば、木の枝のようにも見える皺々の細い手を覗かせてこちらに差し向け、
「新たなる騎士よ、こちらへ。」
と促した。

更に歩み出て、壇上に上がり、神官と同じ高さに立ってから、神官の方に向き直り、再度膝を付いて、頭を垂れる。
「女王陛下の御名と、九つの精霊、森羅に宿りし・・・」
頭の上で手翳しをされ、神官の声が神殿に響きわたる。
「・・・この誓いの約をもって、高貴なる鳥と精霊から力を分け与えん。汝に志あらば、力を尽くし、弱き者を助け、和を貴び、女王陛下に仕えることを誓い給え。」
ゆっくりと、神官を見上げると、視界の隅に父が見えた・・・気がする。
「誓います。」
俺のはっきりとした返事に、神官は少しだけその深く皺の刻まれた顔を穏やかにして、俺を見返し、
「帯剣を許可する。」
と頷いて、片手を上げて、後方に控えていた男に合図を送った。
ささっと素早く男は布に巻いた剣を持って、神官の足元に駆け寄り。そこに跪くと、布から剣を取り出して、図上高く剣を両手で持ち上げた。

・・・その、剣は・・・

神官は、その剣を両手で取り上げて、俺を振り返った。

『立って下さい』と微かな声が聞こえた。
俺にだけ、聞こえる声で神官が語りかけているのだ。
俺は古木の年輪のような皺が刻まれている・・・白く長い眉が細い瞳を隠している、その顔を漫然と見上げていた。
『どうされました?』
微笑みは崩さずに、囁き声で尋ねられて、俺は、ぎこちなく立ち上がった。

俺は、じっとその剣を見ていた。
剣は両手で受け取って、片手で鞘ごと高く一度持ち上げ、参列者に見せてから・・・
段取りが軽く脳裏を駆けた、がその剣を受け取るはずの手は動かない。

この、剣は・・・

俺は、とにかく式を終わらせることだ、これを受け取る、受け取らないの問題とは切り離して考えよう、と判断するなり、それを受け取ると、お偉方の方に向き直って鞘ごと高く翳して、胸の高さに戻す。
スゥ、とそれを胸の前でゆっくりと抜く。左手に持った鞘を左腰の脇に回すと、軽く左足を踏み込んで剣で横に八文字を切り、鞘にストン、と収めた。
最後に深く一礼し、儀式は終わった。

拍手で祝福されながら、俺はちらりと父を盗み見る。
父はこちらをいつもの厳しい表情で見上げており、そこからはなんの意図も読み取れなかった。

--
神殿を出るなり、
「おい、オスカー。お前らしくないな、どうした?段取りを忘れたのか?」
と、アルバートがニヤニヤしながら耳打ちしてきたが、俺はそれを右手を振って軽く遮り、前方を歩く父の元へ早足で移動した。
「父上。この剣は・・・」
俺が父の側で声を掛けると、父は歩みを止めて振り返り。俺が片手で鞘ごと付きだした剣を両手で掴み、俺の胸にゆっくりと当てた。
「その剣は、お前の物だ。」
「し、しかし・・・。」
代々当主が継いできた剣を、聖地に召される俺が継いだのでは、家からこの剣を持ち出すことになる。この剣は家の持ち物であって、いわば当主はその依り代みたいなものだ。まして、俺は当主にすらならないというのに・・・。
俺は父の真意が分からず、父の瞳を捉えようと、じっと伏し目がちにされた目を見る。
木枯らしが、俺達の足下を擦り抜けた。
「家は、クラウスが継ぐ。剣は、お前が継ぎなさい。」
強い意志を感じさせる、固い眼差しが、俺と同じ高さで光り、じっと俺を見返す。ほとんど無意識に、俺は胸に押しつけられた剣を握りしめた。
「次は模擬戦だろう、もう行きなさい。」
「オスカー!!なにやってんだ!!行くぞ!!」
父の穏やかな声と、アルバートからの呼び声がほぼ同時に俺の耳に入った。
「行きます。」
納得をしないままに、俺は父に返事をして、模擬戦の準備に向おうと、マントを控えめに翻すと。
「オスカー。勝利を。」
父らしくもない言葉が、背後にかかった。
「はい。必ず。」
勝利?そんなもの、貴方には飽きるほどに届けたでしょう?らしくもなく、自嘲気味に俺は口元だけで笑った。

「何を揉めてるんだ?この晴れの日に?」
甲冑のしまり具合を調整しながら、アルバートは言う。
「揉めてなんかない。うるせぇぞ。」
俺も憮然として返しながら、自分の甲冑を調整する。
「ホレ。お前の分の模擬刀。」
「サンキュ。」
ほとんど投げ捨てられるような勢いで放られた模擬刀を受け取ると、一度鞘を抜いて状態を確かめる。日の光を当て、束側から切っ先を見る、ということを裏表二回行っていると、
「なんだよ?俺が何か仕込んでるとでも言いたげだな?」
訝しむように片眉が上がったので、
「悪いが、利害が一致している時以外は、お前を信頼したことなんざないんでね。」
皮肉を返しておく。両肩を竦められて、日頃の行いだろ、と俺は内心で笑った。
「それじゃ行くか?『貰われっこ』のオスカー?」
「随分、古い呼び名を持ち出すじゃないか。『隠れ庶子』のアルバート?」
目を眇めて互いの顔を見やり、2、3秒の沈黙した後。ガチンッッと一度、闘志むき出しの顔で互いに睨み合って、右の拳を正面から突き合う。フッと笑ってそれぞれ、石段を登り野外に用意された決闘場に出る。いつの間に集まったのか、石のステージの下には、またも街中のレディ達が集結していた。
石を切り出しただけの多目的に使われる正方形のステージの上で、位置に付く。位置について向かい合い、一礼してから抜刀するのが通例だが。
どうせ、ただのチャンバラごっこだ。派手に行こうじゃないか!と、俺は位置についてすぐに腰に差した模擬刀を抜き、天高く放った。クルクルと回転しながら舞い上がった剣が、俺の突きだした拳の中に、ストンッ、と柄の方から突き刺さる。俺はそのままそれを握りこんで、ニヤッと笑った。模擬刀が軽いから可能なその芸に、アルバートもニヤッと笑ってから、芝居がかった仕草でマスクをガチンッッと乱暴に下げ、抜刀して一度八の字を切っ先で描いて中段に構えた。
つまらん。同じような芸は見せてくれんのか、と俺はがっかりしながら、マスクを下げる。

チャンバラだからな、そこそこ打ち合わないといかんだろう。間合いを詰めるのを止め、俺は防御一辺倒でジリジリと足を運ぶ。
と、それを見抜いたのか、アルバートは一気に間合いを詰めて、上段から斬りかかってきた。右、左、突き、右、左、突き。速さはあるが、単調すぎるぜ、と俺は欠伸が出そうになりながら、フットワークを交え、身体を開いたり閉じたりして躱す。
そろそろ一発返しておくか、と大振りを刃の根本で受け止め、腕の筋力で押し返すと、シャリィンッ!!と高い音が鳴る。
「ハァッ!!」
大袈裟な掛け声と共に、アルバートが右足強く踏み込んだ。瞬間、雲に隠れていた太陽が顔を出したのか、黒い甲冑に施された銀色の装飾がキラリと照り返す。
一瞬、視界が遮られるが、そんなことは俺にとっちゃ大した問題じゃない。俺は、アルバートが踏み込んだ足と同じ右足を踏み込んで、アルバートの間合いに深く入り込み、上からの力強い一撃を、勢いを殺しながら受け止めて、そのまま相手の剣を滑らせ、アルバートの鳩尾に一発を入れようと・・・したところで、アルバートの右足が、ぐらり、と傾いた。

―俺は、後輩いじめが趣味の上司と喧嘩をしたばかりで右足を痛めてる。

アルバートに刺された釘が、瞬時に思い起こされた。
迷いがなかったわけではない。が、それをねじ伏せて、俺はアルバートの身体がぐらついた分、ずらして胴に一発打ち込んだ。当たったところで止めているので、アルバートは吹っ飛ぶこともなく、そのまま数秒固まっていたが、フッという笑い声と共に、姿勢を正し、模擬刀を鞘に収めて俺から離れてマスクを上げた。
「オミゴト!怪我人にも容赦ない、冷徹なオスカー殿。」
早速、ニカッと笑いながらも、他人(ひと)の勝利に難癖をつける悪友に、俺は異議を唱えた。
「馬鹿言え。アレ、嘘(ひっかけ)だろうが?」
勝利の祝いに、レディ達から薔薇のブーケが次々にステージに投げ入れられる。俺も離れて剣を鞘に戻し、姿勢を正した。キャーーーーー!!!という賞賛の悲鳴に、俺の台詞はほとんど掻き消されていたが。
「ばれたかぁ。でも、嘘かどうかを確かめる術なんて無かっただろ?やっぱり、俺達はオトモダチにはなれねぇみたいだな。」
アルバートは失笑し、どこかに視線を逸らした。
馬鹿な奴だ。お前が試すようなことばっかりするから、こっちは信用できなくなってるだけで・・・と、マスクを外し、乱れた髪をグローブを付けたままの手でぎこちなく梳いて整えながら、俺は言おうとしたのだが。アルバートは深紅のマントを翻し、既に背を向け退場しはじめていた。
何を一人で完結してやがるんだ、彼奴は・・・と、可笑しくなって、ハハッと声を上げて笑う。
「友達になれないんじゃなくて、なりたくないんだろーが。」
投げ入れられたブーケを回収しながら、独りごちた。

--------

「何故、今日、今なんです?」
どうせ、シャワーは浴びる予定だったのだし、と寝室に備え付けたシャワーを浴びて、私は頭髪の水分を拭き取りながら聞いた。
「何故って、思いついちまったから・・・、か?」
か?と聞かれても・・・。私は呆れて今日何度目か分からないため息を吐く。
男は私がシャワーを浴びている内に、羽織ってきた黒いシャツと、ナチュラルカラーの細身の革パンツを着たらしい。靴だけを脱いで、ベッドの上で俯せに寛いでいた。シャツの前を開けるのは、わざわざ自分の筋肉を外に向かって誇示したいのだろうか?相変わらず何を考えているのだか、よく分からない。
「シャワーだけじゃあ、沐浴って感じがしないが。まあいいか。そんじゃ、次は騎士の誓いと帯剣の儀式か。」
「騎士なんてものに、私はなりたくはありませんが。」
タオルを肩に掛け、憮然と棒読みに返しながら、私はポールに掛けてあったシルクのローブを取って纏う。少し湿気が残っている肩の筋肉に、シルクがぴたり、と吸い付いた。
「なんでだ?『汝に志あらば、力を尽くし、弱き者を助け、和を貴び、女王陛下に仕えることを誓い給え。』だぜ?志、あるだろ?」
何を言ってる?とばかりに男は身体を起こしてこちらを真っ直ぐにみた。窓の向こうから穏やかではあるが、日が差していて、キラキラと彼の紅い髪を照らした。なんとなしに、いつだったかを思い出す。
「その信条に異議を唱えようとは思いませんが、『誓い』も『騎士』もガラじゃないですね。『町人』『庶民』『その他大勢』が、私には一番居心地が良い。」
サイドテーブルに移動して、用意した保温ポットの冷えたジャスミンティーを青いグラスに注ぎながら、私は淡泊に言った。そしてベッドのオスカーを振り返り、グラスを持ったままに肩を竦める。
「『守護聖様』はいいのにか?」
と、サイドテーブルに腰掛けた私に、男はベッドの上で胡座をかいて向き直り、納得がいかないぜ、とばかりに顔を顰めた。
その態度に、心外だな、と思わず目を眇めてしまう。
「『守護聖様はいい』なんて一体誰が言ったんです?私にとっては『騎士』と同じくらい質が悪いですよ。こればかりは、自分から降りることもできないですから、仕方がないですがね。つまり、私は『守護聖』一つでも持て余しているのに、この上、変な称号を頂くのは真っ平御免です。」
言っている途中で、自分のあまりの言いように、ハハハッ、と思わず声を出して笑ってしまい、グラスを持った腕で、自分の身を抱く。この男にここまで本音を言う日が来るとは思っていなかった。
「『変な称号』とはご挨拶だな。ったく、不良守護聖が。」
男は大して気に留めた様子もなく、ため息を吐きながらごち、
「まあ、お前は帯剣の必要もなさそうだしな。それじゃあ、いきなりパーティか。」
と、つまらなそうに言った。
言ってから、
「まあでも、美味い物を喰うというのは、祝いの最も重要なパートだからな。」
気を取り直したように一度両肩をぎゅっと寄せ、笑って見せた。いつもの不敵な笑みではなく、まるで子供のような無邪気な笑い顔に見える。・・・らしくない。

何がしたいんだか・・・と髪を掻き上げながらもう一度ため息を吐こうとしたところで、唐突に気づいた。

―ああ、そうか。

私は小さく息を呑み、目を伏せて笑った。
「それじゃ、随分と遅れましたが、祝っていただこうじゃありませんか。私の成人の日を?」
「やっとその気になったか。ま、大人しくお前は祝われてればいいんだ。そうと決まったら、飯を作らなきゃならんな。ちょっと待ってろ。私邸(いえ)に戻って用意してくる。」
男はいつもの不敵な笑みに戻って言い、大袈裟に両手を身体の脇について、反動で下半身を上に振り上げ、ベッドの外に飛び出た。
「タイムリミットは3時ですよ?」
私が笑いを堪えてベッドの柱に身体を預けて言うと、
「ああ、間に合わせる。」
男はコートを掴んでもう部屋を出るところだった。
まるで子供だな・・・。私は扉の閉まる音にフッと笑った。

--------

特になんの段取りもなく、演奏が始まり、宴会がスタートした。
堅苦しい挨拶なんかがないのは嬉しい。が、その代わりにひっきりなしに、俺の処に祝辞を述べにお偉いさん方がやってくる。そつなく返事を返しながらも、段々と笑顔に苦笑いが混じる。
やっと途切れかけた祝辞ラッシュに、俺は手元の皿に取ったポテトをフォークで摘んだ。やっと空きっ腹に飯が入り、腹がもっとよこせ、とばかりに鳴いた。ザワザワと心地よいざわめきや、そのざわめきに押されがちな演奏が、俺の腹の虫の声を掻き消してくれるのがせめてもの救いだ。
「はは、情けねぇ・・・。」
自分で笑う。も少し腹に溜まる物を食べないといかんな。まだ声掛けされてない方もいるし、こちらから声掛けにいかにゃあならん人もあるし。肉、肉・・・と、思って近くにでんと構えていたローストターキーを、サーバーで取り分けようとし、その手元に陰がさした。
「父上・・・。」
父は、グラスを少し上げてみせる。
「なかなかに人気者ではないか。」
・・・見ていたのだろうか、俺を?と考えてから、そりゃ見るだろうよ、一応主役だしな、と自分で混ぜっ返す。
ふと、父の目を、まるで癖か何かのように、じっと見ている自分に気づいて。語られない言葉を、その瞳から読み解こうとでもしているのだろうか?と自分の行動を訝しみ、視線を逸らす。
「何か、取りましょうか?」
取り分け皿を一つ山から取ろうとして、
「オスカー。」
名を呼ばれ。中途半端に手が伸びたまま、固まった。
「本当はな・・・本当は、ずっと前から、気づいていたのだ。」
「・・・・。」
勝手に喉が鳴り、俺は身体ごと、父と向き合った。
「気づかぬふりをして、済まなかった。」
こんな、人の多いところでするお話ですか?それは・・・。と俺は茶化したい衝動に駆られる、が、ここで聞いておかねばもう聞けないのではないかという焦燥もあった。自然に、まっすぐに下ろした腕の、握った拳に力がこもる。
父は、目元に穏やかな微笑を称えて、だが・・・予想外に、俺の聞きたい言葉とは無関係の話題が、彼の口をついた。
「シェマは、良い女だった。」
「はい?」
思わず上がった、俺の素っ頓狂な声に、
「そう変な声を出すな。本当に良い女だったのだ。彼女を絡め取る総てから、奪い取りたくなるほどに。」
父は苦笑して口ひげを触り、おどけた顔を一瞬作ってみせ、肩を竦めた。
「私は、彼女に沢山の贈り物を貰った。なのに、俺は彼女にも、お前にも何もしてやっていない。」
「・・・っ!」
異議を唱えようと俺が何事か言おうとするのを、父は空いた左手で軽く制した。大人しく黙ると、
「お前が、選ばれたと知った時・・・。私は誇らしいと思うのと同時に『何故お前なのだ』と不謹慎にも思った。お前のことを褒めるのは、今日が最初で最後になると思うが・・・私の聡明で美しい息子を、何故奪うのだ、とさえ思った。」
おかしかろう、と父は目を伏せ、芝居がかった仕草で手を振り、ハッと笑い飛ばした。
「そう感じたことを認めるのに、ほとんど1年かかってしまったがな。お前だけでなく、クラウスもエリザベートも、皆天からの授かり物で、私のものではない。私はお前達を預かっているに過ぎぬ。使者の方がいらっしゃる以前から、ずっとそう思ってきた。だが私は思い知らされたよ。それは偽りだと。」
淡々と語られる言葉には、あまりにも衝撃的な要素が多すぎて、俺は身じろぎすることも出来ずにいた。
「そう・・・驚いてくれるな。何か自分が途方もない過ちをしでかした気がしてくるではないか。」
父は2、3歩寄って、ポンポン、と父は俺の腕を横から叩いた。
誰ぞが、俺に話しかけようとしてか、声を掛けようとして、だが様子を伺っただけで去っていった。
「ち、違います。父上が、俺のことをそんな風に思って下さっていたことが意外で・・・。」
狼狽えて、顔に血が上ってくる。本音も思わず口をついた。
「そうか。お前は意外と鈍感なのだな。」
ハハハ、と父が男らしく高笑いをする。俺もつられて笑い、
「俺が鈍感?ご冗談を。」
普段は口にせぬ軽口を叩いた。言いながら、なんだか親子らしい会話だな、と俺は脳裏でほっと息をつく。
「ずっと前から、気づいていた。お前が、私に「あること」を確かめたがっていることを。」
父が淡々とした調子を取り戻して言う。
「それでは伺いますが。」
と、俺も真面目な顔に戻って、キッと真っ直ぐに父を見返すと。
「いや、それを聞くのは、聖地に召される日にしてくれんか?今は、アレをお前に託す理由だけで、勘弁してくれ。」
ほとんど、命令口調で言われて、俺は黙って頷く。指さされたのは、俺が目の届く位置に、と思って近くの椅子に軽く固定した、布に包んだ例の剣だった。
「うむ。・・・守護聖様は、出自を捨てると聞く。聖地に召されれば、もう我が家にいた記録も僅かばかりの人しか知らぬこととなろう。お前はもう殿上人で、私の息子ではなくなり、当家の一員でもなくなってしまう。だがな、覚えておいて欲しいのだ。昔、お前が何処から出でたのかを。我らは人の世で、我らの家を守る。お前は・・・遠く聖地で我らの行く末を見守ってくれ。」
「良いのですか。長い間・・・あの剣は当家から失われます。」
俺はじっと父の瞳の奥を見た。
「失われるのではない。継がれるのだ。我々は、与えられた命を次へ次へと継いでいくことでは、変わらぬ。たとえ、お前が守護聖様となっても、な。」
父も俺の瞳の奥をじっと見返してきて、俺は自分が裸にされるような思いだった。
「では、お預かりいたします。私がお役御免となった日に、家は既に途絶えた後・・・などということがないよう、しっかりと守って下さい。」
俺は、その眼力を受けて、おそらく初めて、それを心地よい、と思った。すると、そのせいか、なんなのか。いつも喉に詰まったままの、自らの言葉がするりと自然に出て、微笑みが漏れた。
「これは・・・分の悪い約束かも知れんな。」
と父は失笑してから、
「だが約束しよう。お前も、その剣を自らの手で、当家に返してくれような?」
悪戯っぽく続けた。
「はい。必ず。」
俺は笑って力強く返事をした。
いつの間に側に来たのか、通りすがりだと言わんばかりのタイミングで。黒いチューリップドレスで女性らしく盛装した母が、
「随分遅い和解ですこと!それより、『おめでとう』はもうお済みなの?」
と茶化し、父の脇を小突いた。小突かれて、父は困った顔をしながら、
「あ、ああ。おめでとう。」
とほとんど社交辞令のように言い、ワイングラスを持ったまま、俺を軽くハグした。
―いえ、貴方と笑い合えたこの会話が、俺にとっては何よりの祝辞ですよ。
胸で呟いて、俺は父の肩を軽く抱き返した。

---------

「この料理、どう考えても二人分じゃあないでしょう。食べきれませんよ。」
男は、はぁ、とため息をついて、かくん、とフォークを持った手首から力を抜く。
「作りすぎたか・・・。豪勢にしないと「ご馳走」って感じがしないからなあ。オリヴィエでも呼ぶか?」
「今からですか?いや、声掛けするのはいいですけれど・・・。土の曜日に私から声を掛けると引かれそうで嫌なのですが。」
「?なんだよ、彼奴に何かしたのか?」
「・・・貴方もご存じの事、ですけれど。」
男は珍しく居心地悪そうに、口元を微妙に歪めてどこか遠くに視線を投げる。
その様子に俺は苦笑した。日はもう傾き掛けていて、その光に感傷的な気持ちが甦る。

決して居心地が良かった訳でも、良い思い出ばかりでもない、遠い記憶。・・・どうやら、気づかないうちに沈黙していたらしい。
「・・・つまるところ、ホームシックでしょう?結局。」
と、男はほとんど囁き声でテーブル越しに声を掛け、俺がそちらを向くと。伏し目がちにしていた目を上げて、悪戯っぽくこちらを見た。
「(マ・ザ・コ・ン。)」
口の形だけで奴は言い放つ。
「五月蠅い!」
俺が噛み付くように低く唸ると、今度は声を伴って、
「ファザコン。」
と、宣いやがった。
「ウ・ル・サ・イッ!」
二倍増しで唸り返し、思わず席を立つ。・・・が。
「別に・・・、普通でしょう。」
急に笑い顔を呆れ顔に切り替えて言われ、
「あん?」
意味を取りかねる。
「ですから、木の股から生まれた訳じゃあるまいし、普通ですよ。」
「何がだよ?」
「マザコンとファザコンとホームシックの、『甘えた坊や』の三種の神器です。至って普通ですよ。」
「・・・お前は、なんでそうイチイチ憎たらしい言い方しかできないんだ。」
「貴方の方こそ、何故そう意固地になるんです。・・・オニイチャン?」
気持ち悪いッッ!
「気色の悪い嫌味は止せ!」
一瞬にして、俺の全身はサブイボだらけだっ!
「いや、私の方がよほど恥ずかしいし、気持ち悪いのですけれど。」
自分で言い出しておいて、なんつー言い草だ、お前は・・・・。なんだか段々・・・
「馬鹿馬鹿しくなってきた。」
「全くですね。何か気分直しに弾きますか。」
・・・。
男は軽く肩を竦めて笑い、席を立って、部屋の片隅にオブジェのように座していた美しいリュートを取り上げる。
それ、弾けるのか。装飾品かと思ってたぜ。
「そうそう、『家路』なんて曲がありました。どんな曲でしたか・・・えぇと・・。」
・・・。
「フン・・・『家路』か、遠いな。」
大人しくテーブルに座り直す。
「丁度良いじゃないですか。寄り道が沢山出来て。」
フフッ、と首を傾げ、えらく楽しげに笑われる。なんだそりゃ。
「・・・。お前、あの一件以来、性格が妙だぞ。」
「そうですか?昔はよく父と二人で散歩して、長くなりすぎて母に叱られたりしましたが。」
「いや、そういう意味じゃあなくてだな。」
俺が説明しようとしたところで、それを遮るように演奏が始まる。

テーブルに肘を付いて、その曲を聴いている内に、グリーンピースのスープボウルを既に飲み終わっていた弟の物と入れ替えたのがバレて、母に叱られた時のことを思い出す。
思い出しついでに、知らないうちに笑っていたらしい。
演奏が途切れて、
「そう。故里は遠くから想って、そうやって笑うものなんじゃないかと、最近思うようになりました。」
男は早口で告げ、再び演奏に戻る。奴の口元には、穏やかな微笑。

俺を形作った、総ての人たちが。
俺を遠くから見守っている。
俺も、彼らを遠くから想っている。

多分、それでいい。

「・・・?・・・なんだよ?」
「『お誕生日、おめでとうございます。』」
な、なんだっ!?急に優しく笑いかけるんじゃねぇっっ!!不気味だろーがっっ!!
「・・・とでも言われたんですか?」
「なっ、何の話だっ!?」
「そんなに驚かなくても。いや、妙に嬉しそうに笑っていたので。成人の日には、そんなことも言われただろう、と思ったのですが。」
そういうことか。・・・そういえば。
「言われたぜ。『お誕生日おめでとうございます。「お坊ちゃま」。』ってな。」
わざわざ「お坊ちゃま」を強調してやる。
「っ!!」
能面が、ぎょっとするのを見るのはなかなか愉快だ。
「お坊ちゃん育ちとは思っていましたが、そこまでとは・・・。」
「引けよ。好きなだけ。どうせ俺は『苦労知らずのお坊ちゃま』だ。どこが悪い!!」
「いや、そんなところで偉ぶられても・・・。」

多分、それでいい。

どんな奴でも、いつかは。
もうお前の役目は終わりだと、誰かに告げられたなら。
帰りたい場所に、帰ることができるのだから。

せめて、その瞬間までは。
励んでやるさ。
俺を必要とする、誰かの為に。






「・・・って、今からするのか。」
「え?しないんですか?お腹が減るかと思ったのですが。」
「・・・・。」

終。


textデータ一覧へ